04年4月29日 ゴールデンウイークって何よ
 ゴールデンウイーク突入。例年だと、グリーンクラス(現役高校生)は休みになることが多かったのに、今年度の河合塾のスケジュールは、一切休みがない。まあ、それはそれでいいというか、覚悟はしていたのだけど、例年通り、ゴールデンウイーク空けに各種〆切が待ち受けている。そういえば、昨年までは、グリーンが休みになっている時間を利用して原稿を仕上げていたのだった。 どうするよ。自分。

04年4月27日 パソコンでの作業の合間には 
 昨年度に続いて火曜日は出講がない。その分、一週間分の授業の準備だとか、〆切が迫りくる各種の原稿だとかに追われて、結局一日中パソコンに向かって作業している。パソコンにずっと向かっていると持病の腰痛も悪化するし気分も詰まるので、息抜きが必要になってくる。
 ので、その息抜きでよく作るのが煮込み料理。じっくり時間をかける煮込み料理だと、仕事の合間合間に味見をしながら作ることができるし、その度に高まる出来上がりへの期待が、仕事の励みにもなってくれて、なかなか具合がよろしいんである。
 まあ、たまに(?)失敗して落ち込むこともあるけれども。
 そういうわけで、本日は牛筋カレー。4時間かけて煮込んだ牛筋はトロトロ。最後にスパイスを入れてカレーにしたけれど、そのままビーフシチューでも良かったかもしれない。
 今回は、自分ではなかなか満足の一品となりました。

04年4月25日 女子サッカーおめでとう 
 昨日の女子サッカー、対北朝鮮戦勝利。女子バスケットに続いて、格上とみられた相手に劇的な勝利。わたくしはTV観戦だったわけだが、今日の所長からメールが来て、尋常ならざる熱狂がうずまいていた現場に、ちゃんといたことが判明。
 うらやましいぞ。
 現場にきちんと足を運ぶ。その努力が基本だとはわかってはいるんだけどね。

04年4月23日 より高い目標に向かって 
 最後に残っていた立川校論述クラス卒生の初回。あれあれ。知っている顔が随分いるぞ。立川校では、昨年度グリーンの論述クラスを持っていた関係で、そこからそのまま進学してきた諸君がかなりいて、加えて昨年度の論述クラスから再チャレンジの諸君もちらほら。

 頑張りましょう。

04年4月21日 せめてパンサーとインデザインの揃う前に 
 超漢字上で起動する原稿作成ソフトがついに発売。でもなあ。ちょっと待たされすぎたかなあ。。。

04年4月20日 次男も一緒に 
 長男が先に始めていた空手教室に次男も参加することになった。というか、参加するように親の方がしむけたわけだが。
 習い事の曜日が同じで、発表会だとか合宿だとかも一緒だと、負担が1回で済むんで実に有り難い。
 そんな現金な思惑を知らない次男は、黙想の際の正座が、背筋が伸びてさまになっていると先生に褒められてすっかりその気になっている。
 が、ここで兄の一言。
 誰でも最初はそうやってほめられるんだよ。で、お前たちも見習えって僕らが叱られるんだよな。
 いや、頼むからそんなホントのことを、本人の前で言うのは

04年4月19日 いよいよ本格的に 
 先週から始まった高校生に続き、今週からは卒生の授業開始。まずは駒場校で論述クラス。昨年から引き続きの人もけっこういますが、より高いハードルにチャレンジするチャンスが与えられたのだと考えて、頑張っていきましょう。

04年4月18日 バーベキュー 
 羽村市の河原で、高橋家と今井家とともにバーベキュー。およそ2年ぶり。天気にも恵まれたし、火起こしもうまくいったし、墨で網焼きにした肉は旨いし、日中屋外で飲むビールはもっと旨い。子供たちも、藻を集めて団子を作るという、なんだかわけのわからない遊びに熱中。
 よい一日でした。

04年4月17日 をいをいちょっとそれは違うだろう 
 イラクの人質の人たちが無事解放された。まずはめでたい。ところで、この間、人質の人たちの責任を問い、さらにその軽率な行動を誹謗中傷するような意見が、一部のネットやマスコミに噴出している。政府も、「自己責任」ということを、なんだかやたら強調しているみたいだ。
 ちょっとまて。4月10日の項でも書いたように、私も人質になった人たちにも問題はあったと考える者であるが、そのことと彼らを中傷することとは、全く別だと思うぞ。
 だいたい、「責任」という言葉を強調している日本政府を動かしている高級官僚の人々、プライバシーを暴き立て、誹謗中傷記事を載せる一部マスコミ、これらの人々に「責任」を口にする資格があるのか。

 今や誰もが知るように、日本社会で一番「責任」をとらないのが、「官僚」と「マスコミ」でしょう。
 
 無駄な公共事業や、ずさんな資金運用で、国家に何兆円・何十兆円の被害を与えた官僚たちが、責任をとって辞職したうえ、自分の資産を差し出したという話は聞いたことがないし、松本サリン事件で警察のリーク情報のまま河野さんを犯人扱いして、誹謗中傷記事を書き立てた一部のマスコミの責任者が、謝罪会見を開いた上で責任をとって辞職した(普通の企業では、間違いを起こした場合は、そうやって責任をとるでしょう)という話も、残念ながら聞いたことがない。

 責任をとらない人々が、責任を言い立てて大騒ぎしている。醜悪。

 自由には責任が伴う。その通りだ。善意に基づいて行動し、人質になった人たちにも残念ながら責任はある。
 その通りだ。

 では、「報道の自由」には責任はないのか。匿名でネットに書き込む「自由」には、責任はないのか。悪意に満ちた誹謗中傷で人を傷つけた人間は、「責任」をとらなくていいのか。

 それは違うでしょう。
 
 それから、あえて人質となった人のために弁護すれば、日本の国際イメージの向上に彼らが果たした功績は、多大なものがあると思うけど、違うのか。
 特に高遠さん。イラクのストリートチルドレンのために行ったボランティア活動の実績は、事件中、中東のTVでも繰り返し放送されたそうだが、そのことが日本人イメージの向上にもたらしたであろう広告効果は、相当のものであったろうことは間違いない。「自衛隊は、アメリカの占領に協力するためでなくイラク復興のために来た」という、それこそ「国際的常識」からすれば自分勝手この上ない小泉政権の論理を、それなりに対外的にアピールすることが出来たことも、今回の人質事件の効用としてあったんではないか。
 これだけの成果を得ようとすれば、日本政府はいったいいくらの広告宣伝費が必要だったんでしょうね。
 人質となった人々がもたらした経済効果は、救出のための経費と差し引きしても、おつりがくるどころではないはずだ。

 だから。

 日本の国家財政に何百兆の損害を与えた連中が、人質とその家族に救出費用の請求をするような、みっともないまねだけは勘弁して欲しい。

04年4月16日 歳を取ることについていろいろ考えさせられました 
 吉澤誠一郎『愛国主義の創世』(岩波書店2003)、とりあえず読了。副題に「ナショナリズムから近代中国をみる」とあるように、近頃何かと話題の「ナショナリズム」はどのように生成され、どのように歴史に影響を与えたかの、歴史学からの誠実な回答の一つ。ナショナリズムについて何かを語ろうとする人間にとっては必読の書であろう。それにしても膨大な先行研究を着実に踏まえつつ、自分の語ろうとするテーマを一貫して追求する構成力は見事の一言。比較することが間違っていると知りつつ、我が身にひき比べてみると、この人、1968年生まれで5歳年下なんだよな。
 
 横山光輝逝去。先行する世代が、次々にこの世を去っていく。『伊賀の影丸』も『三国志』も『戦国獅子伝』も夢中になって読んだものだが、個人的なべストは『闇の土鬼』かな。徳川初期を舞台に、暗殺武芸集団に孤独な闘いを挑む血闘者を描いた傑作。冥福をお祈りします。

04年4月15日 幻想が現実を侵食する
 およそ20年ぶりにSFマガジンを買う。2004年5月号。SFに関する(というより、書籍一般に関する)情報が限られていた四国の地方都市のSF愛好者であった高校2〜3年生の頃は、田舎者特有の中央文化への憧れがあって毎号欠かさず買っていたが、大学生になって上京し、SFとミステリを表看板に掲げた青山ミステリ(通称推理研)に入会してからは、かえって憑き物がおちたように買わなくなったSF専門誌である。
 当時の推理研には、真性のSFおたくやミステリマニアよりも、SFもミステリも読めば世界文学も読む、ホントに面白い小説なら何でも読むという種族が多く生息し、その影響もあってわたくしの興味自体がジャンルSFから離れてしまったことが、多分、その理由だろうと思う。
 なのに今回SFマガジンを買ったのは、その推理研仲間でもあるの「夢幻泡影第一章 バレエ・メカニック 前編」が掲載されていたため。
 都市のネットワークが植物状態の少女の大脳皮質の活動を代替し、その夢想が街に充満していく様を描いた幻想小説、と、とりあえずまとめてみたが、読者の神経系に直接接続して感覚を支配し引きずり回す、暴力的なまでの文章の冴えは相変わらず凄い。
 「現実がぐにゃりと歪む」というお決まりの表現があるが、読後実際に軽い酩酊状態に陥り、足元がおぼつかなかった。

 だって、「前編」の最後は、墜落するところで突然終わっているんだもの。引用。“なんじゃらほいと発した。その時にはもう横向きに落下を始めていた。「目を閉じろ。何も起きていない」君は叫んだ。だが馬車も墜ちはじめた”

 早くちゃんと着地させて欲しいが、ページ数の関係から「後編」の掲載は1号飛ばして7月号になるとのこと。

 それまで、この不安感をどうしろと。

04年4月14日 いつまで続く 
 洒落にならない体重増を何とかせねばということで、季節も良くなったことだしと自転車ダイエットに挑戦開始。出講が全て午後からなので、息子たちを小学校に送り出した後、1時間ほど自転車で、自宅すぐ近くの多摩川沿いのサイクリングロードを走ることにしたんである。

 考えてみれば、今の環境だと、スポーツジムなどに行かなくても、時間も場所も方法もちゃんと揃っている。これで失敗するようでは本当に後がない。

 そういうわけで、あえてこの場に晒すことで、退路を絶ち、不退転の決意を固めることにしました。

 こういう時の自分ほど、この世の中で信じられないものもなかったりするわけですが、さて、どうなることやら。


04年4月13日 なんにせよ突出するのは 
 の原稿が届いたので編集作業。のタイトルが示すように、所長は都内某大手書店のコミック部門の責任者である。ひょっとして日本で一番マンガを読んでいるのは、こいつかもしれない。


04年4月12日 暗示とか前兆とかは信じないことに 
 本日より、シーズンイン。駒場高のグリーン(高校生)クラスより、授業開始である。初回だからと、勉強方法の注意事項などをまとめたプリントなどをはりきって作成し、家を出る前に印刷しようとしたら、に「トナーの残りが少なくなっています」というメッセージが表示された。
こう言うときに限って。
 プリントアウトできなければ、これまでの準備が水の泡である。
 固唾をのんで、プリンタを見守る。
 赤いエラーランプが点灯。
 が、ウイーンというお馴染みの音とともにプリンタは作業を開始し、無事プリントアウトは完了したのでした。


04年4月11日 無茶でござる 
 早慶大オープンの模試検討会議。通常の検討会議は一日で4題のところを、12題である。参加人数が多かったので、場所は地下の大会議室。地下室で、はっきりいって空気が悪い。しかも、4月になってなんだか花粉症が悪化気味である。
 へろへろになりながら、なんとか終了。


04年4月10日 こう言ってしまうとみもふたもないけどさ
 夕方までパソコンの前でひたすら仕事。時々、インターネットのニュースサイトで、日本人人質事件のニュースをチェック。

 名分のたたない戦争を遂行した上に、占領政策に失敗して治安を悪化させたアメリカも悪ければ、そのアメリカに全面的に盲従し、自衛隊を出した日本政府も悪く、今の状況では日本人であるというだけで、本人の主観的意図にかかわらず「敵」の一員とみられてしかたないという状況判断を欠いていたと思われる人質の人たちにも残念ながら責任があり、そして何よりも民間人を人質にとるという卑劣な戦術を行ったイラクの民兵組織が一番悪い。

 関係者がみな悪い。困った事件である。

 夕方より、バスケットクラブの練習から帰ってきた長男とともに、羽村市へ。先に行って今井家や高橋家の人々と花見をしていた妻と次男と合流。その後、羽村駅前の魚民にてカラオケ宴会。
 子供たちが歌っている間に、明日の会議の資料読み。


04年4月9日 無茶だと思う
 東大オープンと一橋オープンの模試検討会議をまとめて1日で片付ける。
 疲労困憊。


04年4月7日 この場を借りたお詫びが届くでしょうか
 河合塾の開校説明会及び親睦会。
 年に1回のホテルでの立食パーティーということで、意地汚くも喰うことに専念。
 世界史の講師やフェローが集中的に陣取るシマからほとんど動かなかったので、回遊しながら親睦を深めて下さいという本来の立食パーティーの趣旨からは、逸脱することはなはだしい。
 そういえば、この機会でなければ挨拶できないお世話になった方々も多々いらっしゃったということには、後から気づく。
 しかも、たまたま近くにいた世界史関係者数人で、2次会に突入し、こうした機会でなければお互いに披露できない世界史オタクねたでディープに盛り上がってしまう。

 狭い世間が、ますます狭く。


04年4月6日 日々是反省
 午前中、次男の入学式。ピカピカの小学校1年生である。さすがに緊張の面持ち。終わった後、正装の黒靴がブカブカ過ぎて嫌だったとちょっと泣く。靴は口実で、いろいろとプレッシャーを感じているんだろうとあれこれ慰めていたら、お父さんは、いつもわかったように言うからそれが嫌だともっと泣く。
 子供は手ごわい。

 午後、昨日の1kg950円の屑肉が半分と牛骨からとったスープが残っていたので、和風ポトフを作る。米のとぎ汁で牛肉と大根を下茹でした後、清酒を加え、醤油で味付けしたスープで、とにかく煮る。ニンジンやじゃがいもを途中で加え、都合4時間ほど煮込んで完成。
 頑固な牛肉も、まずまず柔らかくなり、昨日のリターンマッチに成功。が、全て食し終わった後、練りからしがあればもっと良かったことに、気がついてしまったのだった。
 後の祭りである。

04年4月5日 上手く行かないことの方が多いということで
 ビーフカレーにチャレンジ。市場にて1kg950円なりのカレー用牛肉と、200円の牛骨を購入。 ところがこの牛骨がまあ、でかいのでかくないの、牛の脛のところで丸々1本。そのままではとても鍋に入らないので、ノコギリを持ち出して切断。タマネギやらニンジンやらニンニクやらローリエやらと一緒に3時間ほどコトコトと煮て、スープをとる。
 その一方で、タマネギをよく炒めて、ニンニクとショウガのみじん切りを炒めてカップ半分のヨーグルトにスパイス各種を加え、牛肉を放り込んで色づくまで炒め、ここにホールトマトとブイヨンを加えて、煮る。
 完璧のハズが、誤算が続出。

 誤算の1.
 1kg950円の安さには訳があった。やたら固くて、1時間煮込んだくらいでは、とても食べられたものではなかった。

 誤算の2.
 しょうがないので、スープの量を増やして煮込んでみたらば、なんだか水っぽいカレーに。
 スープは少なめをもってよしというのは、カレーつくりの鉄則だったんだった。

 半日かけて作っただけに、ショックがでかいです。

04年4月3日 そういえば沖縄では桜はもう終わっていた
 昨日まで沖縄にいたのに、今日は府中市の桜祭り。演歌と民謡のバックミュージックと、焼き鳥とビールの匂いに包まれて、府中公園の昔遊びコーナーで、息子たちとベーゴマに興じている。
 不思議。

04年4月2日 そしてまた日常が
 沖縄から帰ってきました
ガラス工場で製作体験したり(息子たち)、リゾートホテルのプールで寒さに震えながら泳いだり、海洋博の跡地にできた水族館で頭上を泳ぐジンベイザメとマンタに感動したり、琉球村でシーサーの手びねり製作に挑戦したり(長男)、グラスボートでサンゴ礁と熱帯魚を見たりなどなど。
 家族旅行なので、子供が楽しめるものがメイン。
 それでも、「東京」との「文化のズレ」の大きさや、中国とアメリカの濃厚な影響を、そこかしこに感じることが出来て、なかなか面白い旅行であったと。
 今回まわれなかった、歴史関係の遺跡やら資料館は、カネとヒマが出来たときに一人で見に行くと決意。
 
 それはいったいいつの日だ。