洛邑

*西周によって建設され、東周で国都とされた。黄河中流域を中心とする中原の要衝にあり、以後、洛陽として後漢、魏、西晋の都となり、北魏も孝文帝の時、平城からこの地に遷都した。隋唐時代には西都長安に対して東都と称され、文化の中心だったが、唐末になると、当初は洛陽への物資集積地の性格を持っていた大運河の要衝の開封に繁栄を奪われた。五代の後唐でも、都となった。


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