03年9月28日 数字の中に入れてもらえないとなんだか哀しい
2週間連続で日曜日に特別講習。本日は横浜校。分倍河原の駅まで、東京駅の八重洲口出たところのポケモンセンターに行くという妻子と一緒に行き、京王線を利用する一行と分かれてJR南武線へ。ところが、南部線のホームで、10分ほど前に川崎付近で人身事故が発生し、運行の予定がたたないとのアナウンスを聞く。
しょうがないので京王線を利用し、明大前で井の頭線に乗り換えて渋谷、渋谷から東横線で横浜と頭の中で路線を組み替え直し、一旦入ったJRの改札を出て、京王線へ。まだホームにいるはずの妻子と合流しようとしたら、京王線のホームが人で溢れて身動きがとれない。その時はわからなかったけど、中央線が立川−三鷹間で止まっていて(で大々的に取り上げられた例の配線事故です)中央線利用の人が、さっきまで動いていた南武線で大量に立川からまわってきたらしい。
結局妻子と合流できず、ラッシュ時なみに混み合った(いつものこの時間はガラガラなのに!)電車に詰め込まれる。長男など、これで気分が悪くなってしまったと後で知った。18万人に影響が出た模様と報道されているが、その18万人には京王線が満杯になることでしなくてもよい苦労をした山内家のような京王線利用者はカウントされているのだろうか。カウントされてないような気が。

03年9月27日 アホです
京都で教材の会議が無事終了後、しばし歓談。9時33分発の最終ののぞみに乗って帰る。ところが東京駅から中央線で新宿まで来たところで京王線の府中方面の終電の時間が過ぎていることが発覚。でも大丈夫。中央線にこのまま乗っていれば西国分寺までは行ける。うまくすれば武蔵野線の終電があるし(で調べたら、とっくに終わってた)、なくても西国分寺からだったらタクシーでもそんな料金ではないはず・・・しか〜し。27日は中央線の大工事で三鷹−立川間運休だから、西国分寺には行けないのであった。
大丈夫大丈夫。新宿駅からは府中方面行きの深夜バスというものが出ていてだな。1時を過ぎても余裕で帰れる・・・な〜んと。土日祝日は深夜バスは運転していないのであった。
結局京王線の桜上水までの終電には間に合ったので、桜上水まで行って後はタクシー(30分くらい待った)で帰りました。タクシー料金7000円を越えた。京都に行く前にでちょっと調べていたら、何の問題もなかったのに。
わずかな手間を惜しむことで、事態はひたすら悪化するという教訓。

03年9月26日 哀悼
白血病を押してパレスチナ問題(今やそれはアメリカ問題でもある)に精力的な発言を続けてきたエドワード・サイード(参照)死去。ヨーロッパの「近代文明」に埋め込まれた「帝国主義」が、「文明」と「野蛮」の二分法で非ヨーロッパを従属させてきたことを『』で暴き出し、その後の人文・社会科学研究に多大な影響を及ぼした。(に長文のが出てます)。
サイードが明らかにした「文明」と帝国主義の関係は、「文明開化」を悲願とした日本の問題でもある。日清戦争は、福沢諭吉によって「文明」の「野蛮」に対する戦争として正当化されたのだから。

03年9月24日 食い合わせが
午前中図書館で調べもの。松戸への移動後、時間に少し余裕があったので、駅ビルの書店へ。購入したのは少年サンデーで連載されていた『』の20巻(完結)とマルクス・アウレリウス・アントニヌスの『』。。。これでいいのだ。

03年9月23日 渋谷
日曜日が特別テーマ講座でつぶれ、今週の土曜日が京都での会議、来週の日曜日がまたまた特別テーマ講座である。家族の平和と安寧のためには、祝日の本日ぐらい家族サービスしとかないと、ちょっとまずい。そういうわけで、行ってきました渋谷。と、をはしごする。電力館はいまいちだったが、は息子たちにとってはなかなか使い勝手が良かったよう。渋谷には、もあるので、困ったときは渋谷かな。

03年9月21日 日曜日だけど
近世東アジア史の短期特別テーマ講座が立川校。泥沼にはまりながら必死の思いで作ったテキスト(参照)なのに、冊子になってでき上がったものが、一見しただけではなんのへんてつもないものになっているのがちょびっと哀しい。ある程度、見た目のインパクトも追求すべきだったか。そのくせ、内容的にはかなり大胆な新機軸でまとめているので、他の講師の方々が講義しにくいテキストになってしまったかもしれない。新しいものを出した時には、切実に他の人の評を知りたいもんです。立川校の講義自体は、授業後のアンケートを見る限りはまずまずだったようで一安心。

03年9月20日 ごろごろ
長男はバスケットクラブで留守、次男は保育園の友人が遊びに来ていて、時たまちょっかいを出しに来る以外、父親なぞ眼中にない。そういう状況でひたすらごろ寝。9月の下旬は、日程的にとんでもないことになりそうなので、休めるときに休んでおかないとと言い訳。

03年9月19日 内田樹酔い
の『』と『』を続けて読了。

03年9月18日 そうだったのか
の『』(文春新書、2002)読了。私の学生院生の頃、フランス現代思想ブームがあって、ポストモダンという言葉が大流行し、ドゥールズやデリダ、ガタリなどポスト構造主義の一群の思想家ががもてはやされていた。私は、その流行からは意識して少し距離を置いていたが、ポスト構造主義の前提となった構造主義、特にフーコーについては、「フーコーの著作はいまでは全世界の社会科学・人文科学の研究者の必読文献であり、それを「勉強する」ことはほとんど制度的な義務となっています。院生たちはフーコーの述語を駆使し、フーコーの図式に準拠して思考し、推論することをほとんど強制されています(前掲書p.111)」という状況が当時既に見えていて、読まざるを得なかった。その他、歴史学の隣接学としての文化人類学に対する興味からレヴィ・ストロースに手を出し、バルトも『テクストの快楽』あたりは、実家の屋根裏部屋のダンボール箱のどこかに眠っているはずだ。ラカンは−流石にラカンまで読む気はしなかった。
ところが、この構造主義者たちの著作が難しくて難しくて、解説書の類を総動員してもやっと、「こういうことを言ってるのか・・・な」ときわめて不確実なまま了解するのが精一杯というのが正直なところだったと思う。
その「邪悪なまでに難解」な構造主義者の主張をは『』の後書きで、「レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカは嫌いだ」と言っているのでした。」と、断言してくれている。
なんだそういうことだったのか。
本文でも、秀逸なたとえばなしで、構造主義の思想が前史からすらすらと解き明かされていて、読みながら何度も何度も、当時構造主義の前に立ちすくんでいた自分にこの本があれば、と思ってしまった。
受験生諸君、小論文や現代文対策にもなります。なぜならわれわれは、「構造主義が支配的イデオロギーである時代」に生きており、入試問題で出題される小論文の主題や現代文の批評文も、その深いところで構造主義的思考法に規定されているからです。だから、構造主義とはどういうものかを知っておくことが、そうした問題に対峙した時に、大きな武器になる。

読みなさい。

03年9月17日 おおぼけ
松戸校において、アイルランド問題の資料として持ってきたU2のCDをラジカセにセットしようとしたら、CDケースの中身がない。どうやら駒場校でラジカセの中に、そのまま忘れてきてしまったらしい。急遽近くの駅ビルのCDショップに買いに走り、何とか授業に間に合わせる。発売以来4年間で全世界で1400万枚を打ったというU2のベストアルバム。その1400万枚のうち、2枚を買ったのは私です。

03年9月16日 カレーの日
火曜日はカレーの日ということで、長男とカレーを作る。先週も一緒に作ったのだけど、今回はタマネギやニンジンの角切りや、ニンニク、生姜、リンゴのすり下ろしなどの作業の大部分も長男にまかせてみる。さすがに材料の炒めは私がやったが、かなりの部分を自分で作ったカレーに長男もお代わりを連発。こうやって、自然に料理することを覚えていってくれるとありがたし。

03年9月15日 民族を問う
ドイツの長い19世紀−ドイツ人・ポーランド人・ユダヤ人』(伊藤定良、青木出版、2002)読了。ドイツの統一過程におけるドイツ人ナショナリズムの展開が、ポーランド人やユダヤ人排除の方向を強めていったことを実証的に論じ、ナショナリズムの負の側面と、それが「近代国民国家」を前提に強化されたものであることをあぶりだす。一方で、ドイツナショナリズムに対抗して発展したポーランドナショナリズムもまた、反ユダヤ主義という負の刻印を帯びたことも論証。ドイツ人とポーランド人の問題は、北朝鮮の政治体制に対する批判が、在日韓国・朝鮮人への差別と迫害に転じかねない危険な兆候を帯びてきた日本の現状にも重なり合う。安易にナショナリズムを煽る人にこそ、読んでほしい本。

03年9月14日 テニス
府中市は、人口あたりの公設テニスコートが東京一であるというような記事をどこかで見た。コートの予約も自動化されていて、インターネットでの予約や空きコートの検索も可能となっている。最後に市役所等に設置してあるキャプテンシステム(前時代の遺物ですが)で、料金の支払いを済ませて完了。引っ越してきて初めてこのシステムを使って、夕方の5時から6時の1時間テニスコートの確保に成功し、家族4人でテニス。時間が短く、子供もまじえてだったので中途半端になったところもあったけど、それなりに充実。が、肝心の腕前の方は・・・

03年9月13日 温水プールめぐり
先週に引き続き、次男と温水プールへ。今回は、流れるプール希望の次男のリクエストもあって、以前から存在だけは知っていた多摩市の。設備はとにかく立派の一言。この真夏日が続く天候と相まって混み具合もなかなかである。念願の流れるプールにはしゃいで次男はとにかく流されていく。私は、次男を追いながらひたすらウォーキング。次男をダシに腰痛対策だったり。

03年9月12日 TVと私
金曜日の立川校で、後期完成シリーズの1回目が終了。初回はやっぱり緊張するのか、けっこう疲労困憊。
それもあってか、今回こそは観ようと思っていたNHKの連続ドラマをまたまた見逃す。原作藤沢周平。1997年1月の藤沢周平の死を受けて、文藝春秋の4月臨時増刊号として出版された「藤沢周平のすべて」で、『蝉しぐれ』映像化への熱い想いを吐露していた黒土三男が脚本。
あれから6年、ついにNHKのドラマとして映像化が決定。
なのに観れないのは何故かというと、感情移入が激しすぎるがためか、ある種のTV番組を観るといたたまれなくなるような羞恥心につつまれてしまうという、私の特異体質に根本的原因がありそうである。朝の連続TVドラマは、基本的に全部ダメ。アニメの「こち亀」ですら時々ダメ。この特異体質に気がついたのは、保育園の年長の時であり、理屈ではなく体質である。小学校3年生の長男も、保育園の年長の頃から、耳をふさぎながらTVの前から逃げ出すという同年輩の頃の私と同様な反応を見せているので、この体質は遺伝するらしい。理屈ではない。本能である。どういった場合に発現するかというと、まず俳優の演技が下手で、にもかかわらず一生懸命演じている場合。恥ずかしさのあまり、その場から逃げ出したくなるような衝動にかられる。登場人物の失敗をおおげさにとりあげて、笑い者にする設定の場合。「偽水戸黄門」とか、「偽〜」の物語りのパターンがあって、「ヒーロー」の偽物が登場すると、本物が本物であることを隠して、「偽物」の配下になるというあれが典型。偽物が偽物であると発覚した場合の狼狽や羞恥を先取りして感じてしまって、どうにもいたたまれない。とまあ、一応自分なりに症例分析をしているのだけど、なにしろ理屈ではないので、いつ発現するかはその時その時の状況によって違う。映画館で観たときには大丈夫だった映画が、TVの放映で観るとダメだったりするので油断できない。発現の危険性を避けるために、TVドラマ全般をできるだけ観ないようにする習慣ができあがってしまったわけだ。
だから、時々「面白そうだ」とか、「観てみたい」と思う番組があっても、情報だけ収集して、結局一度も観ないということが往々にしてある。最近では「」がそう。毎回毎回、インターネットのドラマレヴューをはしごしてチェックし、のホームページの撮影日記まで読んどきながら、ついに観ないまま終了してしまった。
TVを観ていて、逃げ出したくなるような衝動に駆られる。ありません?

03年9月11日 やっぱりすごい
の短編集『ベスト・アルバム』を購入し耽読。

03年9月10日 松戸校初日
水曜日、後期完成シリーズから急遽松戸校の総合世界史クラスを担当することになり、本日初出講。府中本町駅から武蔵野線を使い、新松戸駅で乗り換えて常磐線のルートである。始発駅からなので、間違いなく座っていけるのはラッキー。しかし、そこには罠があって、まだ大丈夫、まだ大丈夫とうたた寝を続けていると、はっと気がついたときには新松戸駅。すでにドアはほとんど閉まりかけていた。初日からいきなり、乗り過ごし。

03年9月9日 いい加減この手の話は
中日の山田監督解任。成績が不振だと現場の監督が責任をとらされるのは、野球もサッカーも、洋の東西を問わず同じ。かのベンゲルだって、フランスリーグのモナコ監督時代に解任され、それで日本の名古屋グランパスに監督としてやってきたわけだから、仕方がないといえば、仕方がない。でも、この話には、なんだかとても厭な臭いがぷんぷん漂っているのは、私が現役時代の山田投手(ベースボール史上、空前絶後の下手投げ(サブマリン)だった)のファンだったゆえの勘ぐりすぎか。
現役時代から将来すばらしい監督になるだろうと外国人選手からも賞賛され、オリックスでのピッチングコーチ時代にも投手陣のみならず、イチローなど野手からも絶大な信頼を寄せられ、満を持して中日監督に就任したのが2年前。ところが監督就任時に、前監督の星野の阪神監督就任のどたばたに巻き込まれ、外国人選手の補強でもフロントが失敗を重ねて、困難な状況での1年目となった。それでもAクラスを確保したのは、高く評価されるべきだし、今年も5位に後退したといっても、まだAクラスの可能性は残っている。現在の不振の責任は、現場の指導者である山田監督ではなく、星野問題の処理に失敗し、外国人補強に失敗し、中日OBの横槍から外様の山田監督を守ることにも失敗したフロントにあるのは明らかではないか。
トップたちが現場の指導者にとるべき責任を押し付け、自分の地位保全と組織内部の権力維持にのみ関心を向けるという有り様は、日本の組織が失敗するときの典型的なパターンであり、第二次世界大戦時の軍部から、みずほ銀行に代表される巨大銀行の凋落にいたるまで、腐るほど実例があるわけだが、今回の山田監督解任劇も、そのリストに新たなサンプルを提供するものだろう。
題して、「自滅する組織」

03年9月7日 日曜日は
午前中、近くの公園で久しぶりに息子たちとバドミントン。昼食後は、息子たちが最近はまっているのカスタマイズにつきあわされる。その後、夕方から昨日に続き、温水プールへ。9時頃息子たちを寝かせてついでに一緒に寝て、深夜1時頃起き出して仕事の開始。現在、正確には9月8日の午前4時30分。そろそろ寝ます。

03年9月6日 土曜日は
長男がバスケットクラブに入会して12時から3時まで練習。その間ひまでしょうがない次男と、府中市の生涯学習センターにある温水プールへ。幼児用プールで1時間弱一緒にはしゃいだだけだったのに、帰宅したとたん睡魔に襲われ、昏倒するように眠る。運動不足。

03年9月5日 琥珀
結婚10年目の記念日。早いもんである。ダイヤモンドシンジゲート提唱のSweet Ten Diamond にのせられるのもしゃくだし、実際にダイアモンドには手が出ないし、ということで、北西ヨーロッパで結婚10年目に琥珀を贈る琥珀婚に倣い、琥珀を妻にプレゼント。といってもこの知識自体が、夏期講習の「ヒトとモノのネットワーク」の授業の必要上、琥珀について調べていて、最近知ったばかりのものだったりする。知ったばかりと知ったかぶり、音も近いが内容も近い。琥珀については、が良くまとまっています。

03年9月4日 黒田硫黄
大日本天狗党絵詞』全巻と、第二短編集『黒船』を耽読。

03年9月3日 ちくま新書
ちくま新書から出ている金子勝の『長期停滞』と、兵藤二十八の『「新しい」戦争を日本はどう生き抜くか』を続けて読む。伝統的な区分からすれば、金子勝はリベラル(左翼)、日本核武装論を早くから一貫して主張してきた兵藤二十八は右翼ということになるかもしれないが、この二人には立ち位置の違いを超えて、共通点があると思う。金子勝は経済、兵藤二十八は防衛のそれぞれの専門から、日本社会はどうあるべきかのグランドデザインを徹底的に考察していること。そして、返す刀で、グランドデザインを持たず、その場しのぎの弥縫策を続けて失敗を繰り返す日本政府の現状を批判した上で、きちんと代案を示していること。トップが責任をとろうとしない日本的無責任体質を、根本的な問題として捉えていること。両方とも面白いです。

03年9月2日 とりあえず経過観察
杏林大学付属病院に行って検査。大病院に行ったのは久しぶりだったが、受付システムその他が大幅に効率化されているのには感心。もっともその分、私と同様、周辺地域から紹介状をもらってやってきたとおぼしき患者の数もやたら多くて、午前9時前についたにもかかわらず、最後に受付で会計を済ませたときには12時をまわっていた。ただ、時間がかかったのは、視力検査に眼圧検査、さらに病状を複数の医師に見てもらったり、眼の写真をとったりと、診察行為自体に多くの時間を要したためでもある。
で、結論としては、右眼も左眼も網膜自体が弱くなっている箇所がいくつもあって、そこに孔が空いて網膜剥離が起こっていると。ところが、右眼の方は、すでに起こった網膜剥離が自然治癒し、左眼の方も、自然治癒の過程ではないかと推定される。ただし、左眼の方は、年齢的な問題(40歳だ!)で、早期に自然治癒した右眼に対し、治癒能力が低下していることが考えられ、このまま自然治癒するかどうかは微妙。従って、1カ月に1回の割合で定期検査を行い、病状が進行するようだと、手術に踏み切ろうということになった。
心情的には手術無しですめばそれに越したことはないので、予想された最悪の結果ではなかったことに一安心。
健康に気を使い、体調を整え、眼にかかる負担を少なくして自分の身体の治癒能力を高めることが、これからの課題であるな。

・・・それって一番難しいことかも。

03年9月1日 まさかホントに網膜剥離とは
近くの眼科医院で眼の再検査。左眼は、網膜に孔があいているだけでなく、そこから既に網膜剥離が始まっているとのこと。ただし、どうも新しい症状ではないと。そこで、手術の検討も含めて杏林大学付属病院で詳しくみてもらおうということになって紹介状を書いてもらう。