ゲーテ(1749-1832)

「ギョオテとはおれのことかとゲーテ言い」外国人の名を日本語に移す困難を語るときに必ず引用される言葉である。青年期に疾風怒涛(シュトルムウン卜ドランク)運動を推進し青春文学の傑作『若きウェルテルの悩み』を著して、主人公ウェルテルの作中のファッションが現実に大流行するような影響を与えた。ファッションの影響だけならよかったが、作中主人公が適わぬ恋に苦悩し、ついに自殺すると、同じように自殺する若者が相次いだ。このような現象をウェルテルシンドロームと言うらしい。後に疾風怒涛から成熟した古典主義の文学にむかい、悪魔メフィストフェレスとファウス卜博士の伝説に取材して、『ファウス卜』を著す。一方でワイマール公国の宰相になるなど政治家としても活躍。ドイツ文学史に巨大な足跡を残した。



シラー(1759-1805)

ゲーテとともに疾風怒涛運動を推進。世俗的道徳や因習を否定し、感情の解放を主張して『群盗』を著す。一方で歴史家としても綿密な研究を重ね、三十年戦争を舞台に『ヴァレンシュタイン』を、百年戦争を舞台に『オルレアンの乙女』の戯曲をものにした。またスイスの独立を描いて『ヴィルヘルム=テル』を著し、以来伝説の人物であった十字弓の名人テルが実在の人物とみなされるようになった。



ノヴァーリス(1772-1801)

18C末に発生し、19C前半に主流となったロマン主義の文芸思潮を代表するドイツの詩人。代表作は『青い花』。22歳の時、13歳の少女ゾフィーと運命的な恋愛をして婚約するも、翌年ゾフィーは結核にかかり16歳で死ぬ 。彼のロマン詩はこのゾフィーとの哀切な恋愛をモティーフにしたものである。自身も29歳で肺を病んで死ぬ 。ところでロマン主義の時代は結核の時代であり、“肺を病んだいたいけな美少女”との純愛が大はやりした。青い顔をしてゴホンゴホンやるのが“かっこいい”ことだったのである。明治日本はもろにこの影響を受けていて小説の薄幸のヒロインは必ず結核で死んだ。青春柔道小説の大傑作『姿三四郎』でも、物語の最後に、何の必然性もないのにヒロインの乙美さんは結核で死ぬんである。そういう意味では、彼の人生そのものが時代の雰囲気に大きな影響を与えている。ところで現代の時代的病気と言えば白血病とエイズ。サッカー漫画『シュート』では天才久保嘉晴(映画化に際しては木村拓弥が演じたような記憶が)は白血病で死に、「私を抱いてそしてキスして」や「フィラデルフィア」といった映画ではエイズがテーマとなっている。



ハイネ(1797-1856)

ノヴァーリスと共にドイツロマン主義を代表する詩人で、代表作は『歌の本』。一方で彼は少年時代にフランス革命の洗礼を受けた卓越した時代批評家であり、人類解放の闘士であった。フランス亡命中パリでマルクスと知り合い、当時まだ知る人の少なかった彼の共産主義を『暗黒の英雄』と評し、恐るべき的確さでその運命を予言したことでも有名。しかしその彼も自分の著作がその内容と彼がユダヤ人であると言う理由でナチス時代のドイツで焚書にあうという事態は、思いもよらなかったろう。



スタール夫人(1766-1817)

ルイ16世の財務官としてアンシャンレジームの改革に取り組み、フランス革命の引金をひいたネッケルの娘。フランス革命にはジロンド派として参加。理性と言論の政府を主張してナポレオンと対立し、国外亡命生活をおくる。『ドイツ論』でロマン主義をフランスに紹介。夫スタールとは早くに離別し、多くの男性との交際の後、45歳で年下の青年士官と再婚するというロマン主義を地で行く生涯をおくった。



ユゴー(1802-1885)

フランス七月革命を背景に描いた『レ=ミゼラブル(ああ無情)』でジャンヴァルジャンという文学史に残る主人公(なにしろ平凡社大百科辞典で独立項目で扱っている)を生み出したフランスの作家。ナポレオンの崇拝者であったが、ナポレオン3世には鋭い批判を浴びせ(ナポレオンと血縁関係はないのではと出生の秘密まで疑っている)国外亡命を余儀なくされる。しかしナポレオン3世没落後の第三共和政下のパリに帰還した時には、英雄の帰還としてヴォルテールの帰還にも比すべき熱狂的な歓迎を受けた。死後はやはりフランス国民の神を祭るパンテオンに埋葬されている。



バイロン(1788-1824)

「一夜目覚めてすでに天下の詩人」と自ら記したのは、24歳で『チャイルドハロルドの遍歴』を著し、世に熱狂的に迎えられた時のことである。美貌のイギリス貴族として生まれながら、生まれつき足が悪かったこともあって屈折した放蕩の生活を送る。成功後は特にその奔放な女性関係が世の人の非難の的となり、ついにイギリスを飛び出して大陸を旅行しながら『ドン=ジュアン』のような大作を書く。ギリシア独立戦争が勃発すると、フランスの画家ドラクロアなどとロマン主義の視点からギリシア独立援助を訴え、ついに自ら義勇兵として参戦。独立軍の司令官となるも最後は熱病で死亡した。



スコット(1771-1832)

歴史に題材をとる物語詩・小説を著したイギリスロマン主義を代表する作家。代表作は『湖上の美人』『アイヴァンホー』。特に『アイヴァンホー』は獅子王リチャード1世やその王位を狙う悪者の弟ジョン、森の義人ロビンフッドなどが入り乱れ、恋あり、冒険あり、活劇ありの騎士物語の傑作。映画化・テレビ化も何度もされているが、特に『ロミオとジュリエッ卜』のオリビア=ハッセー(「シクラメンのかほり」の布施明と何故か結婚したことがある)が主人公に悲恋するユダヤ娘を演じたTV版がとてもとてもよかった。



ホイットマン(1819-1892)

草の葉』を著し、民主主義の詩人と呼ばれたアメリカロマン主義を代表する文学者。南北戦争以前に民主党系新聞の主筆となりながら、新しく生まれる州を全て自由州とすることを提唱して民主党保守派の怒りを買ってその職を追われ、南北戦争後には、南北戦争後のアメリカ社会の物質主義的風潮を鋭く批判した。日本では夏目漱石によって紹介され、有島武郎らに影響を与えた。



プーシキン(1799-1837)

ロシアでは現在でもトルストイ以上に人気があるという、ロシアロマン主義の国民作家。名門貴族に生まれながらデカブリス卜に共鳴して反体制的な作品を書き続け、ついにシベリアに流刑されて、その地で1825年のデカブリス卜の反乱がニコライ1世に鎮圧されたことを聞く。翌年許されてモスクワに帰るも獄中のデカブリス卜に同情を隠さず、プガチョフの乱に取材した『大尉の娘』などの作品で民衆から国民詩人視された。しかし彼のその態度に激しい憎しみを抱いた宮廷の高官たちに陰謀を仕組まれ、元フランス近衛兵にして駐露オランダ公使の養子<このパターンは大体男色の愛人>というダンテスという男に妻ナターリアを誘惑され、これをなじったところ逆に決闘状をつきつけられて決闘を余儀なくされて決闘に倒れ、死んだ。



スタンダール(1783-1842)

赤と黒』『パルムの僧院』を著し、フランス写実主義文学の先駆的作家と言われる。ナポレオン軍に参加したナポレオンの崇拝者で『ナポレオン伝』でも有名。『赤と黒』の赤は軍服、黒は僧服を意味する。当時のフランスは階級社会であり、貧しい生まれの若者が成り上がろうとすれば軍人になるか僧侶になるかしかなかった。物語は貧しい生まれの美貌と才能に恵まれた青年が僧侶となり、町長の夫人と男爵の娘を誘惑して成り上がろうとして三角関係のもつれから破局を迎える様を描く。フランス復古王政の時代を鋭く批判した政治小説でもある。ジェラール=フィリップ主演で映画化もされているが、それ以上にこの筋だてと設定は応用がきく(主婦向けの昼メロなどでは何度でも使われている)ため、同工異曲の作品を後世多く生み出すことになった。



バルザック(1799-1850)

l9Cフランスの社会と風俗を描き出した『ゴリオ爺さん』を中心とする『人間喜劇』の連作小説集で名高く、写実主義文学の祖と言われる。毎日数十杯のコーヒーを飲みながら、夜中から翌日まで十数時間書き続けるという超人的な創作活動を続ける一方で事業欲に取りつかれ、新しい会社を起こしては破産し、新たな創作によって負債を返還するという生涯をおくった。ちなみにこの頃コーヒーは麻薬として扱われていたから、現代の定義でいうと、この人は立派な麻薬中毒患者である。



フロベール(1821-1880)

「ボヴァリー夫人は私だ」という言葉であまりにも有名な、写実主義文学の確立者。いなか医者の美しい妻の不倫と自殺を描いた『ボヴァリー夫人』(初出時には風俗紊乱の疑いで告訴される)や半自伝的作品『感情教育』が有名。青年期に神経症の発作をおこして以降は世俗との交わりを断ち、ノルマンディー地方の生地ルーアンに隠棲して文学にのみ奉仕する生涯をおくる。モーパッサンは彼の愛弟子である。『紋切型辞典』という、誰もが知っていることばかりを編纂するという奇妙な辞典を構想したことでも知られる。映画や文芸愛好者、大学若手研究者にカリスマ的な影響力を持つ(持っていた)、元東大学長の蓮實重彦が専攻にしている。



ディケンズ(1812-1870)

フランス革命時のパリロンドンを描いた歴史小説『二都物語』を著した、イギリスの写実主義文学を代表する作家。裕福な家庭に生まれ幸福な少年時代をおくりながら、父が負債不払いで投獄されたため、突如工場の徒弟として働かなければならなくなるという運命に陥る。そのためか、彼の小説はイギリスの中下流階層に暖かな目を注ぎ、ユーモアを持って社会を風刺する作風である。他の作品に孤児院に生まれ、ロンドンの悪の世界に引き込まれそうになる少年オリヴァーを描いた『オリヴァー=トゥイス卜』、自身の少年時代を投影した『デヴィッド=コッパフィールド』、守銭奴スクルージがクリスマスの夜に幽霊に諭されて更生する『クリスマスカロル』がある。



ゴーゴリ(1809-1852)

ロシア写実主義文学の創始者で醜悪な人間をリアルに描き、ドストエフスキーに「笑いの悪魔」と評される。自分の戯曲『検察官』を見て、自分のつくり出した人物の余りの醜悪さに衝撃を受け、こんな作品を書き続けることは社会に有害ではないだろうかと悩みながらも、創作欲に突き動かされ、代表作『死せる魂』第一部を書き上げてしまう。ついで第二部を完成した時、その矛盾は頂点に達し、突如完成した原稿を暖炉に投じ、その翌日から一切の飲食を拒否して衰弱して狂乱状態になって死んだ。第二部は断片しか残されていないが、一人の作家を狂死に追い込んだ作品というのは、読んでみたいと思わないか。



ドストエフスキー(1821-1881)

ロシア写実主義文学の世界的巨匠で、人類史上最高の作家、代表作『カラマーゾフの兄弟』は世界文学の最高傑作という評がある。アメリカの現代文学作家カー卜=ヴォネガットは言っている。「人生の全ては『カラマーゾフの兄弟』に描かれている」。もっともヴォネガッ卜はこう付け加えている。「でももうそれだけじゃ十分じゃないんだ」。病的な賭博癖の持ち主で賭博の心理を描いた『賭博者』のような作品もある。一部の推理小説ファンが推理小説の最高傑作にあげる『罪と罰』もよく出題される。



トゥルゲーネフ(1818-1883)

アレクサンドル2世農奴解放令に影響を与えたと言われる『猟人日記』などロシアの農村を題材に知識人の苦悩を描く。ナロードニキを主題としてニヒリズムの言葉を生んだ『父と子』や『処女地』も代表作。自身ロシアの大地主であり、富と名声に包まれて、トルストイやフローベルなどとも交際した。



トルストイ(1828-1910)

現実主義と人道主義を追及し、高級官僚の妻アンナの不倫と破滅を描いた『アンナ=カレリーナ』、ナポレオンのロシア遠征に題材をとり、自己のクリミア戦争の体験を投影した『戦争と平和』、クリミア戦争を描いた『セヴァストポリ物語』などを著した、ロシア写実主義の世界的巨匠。しかし、彼は50歳過ぎから自分の作品を否定しはじめ、妻と深刻な争いを生じ、82歳にして家出を決行して4日目に汽車の中で熱を出して倒れ、小さな駅の駅長室で駆けつけた家族にみとられながら死んだ。日本の自然主義作家正宗白鳥の有名な言葉。「人生救済の本家のように世界の識者に信頼されていたトルストイが、山の神を恐れ、世を恐れ、おどおどと家を抜け出て、孤独独遇の旅に出て、ついに野垂れ死にした経路を日記で熟読すると、悲壮でもあり滑稽でもあり、人生の真相を鏡に掛けて見るが如くである。ああ、我が敬愛するトルストイ翁」(山田風太郎『人間臨終図鑑』参照)



チェーホフ(1818-1883)

ロシア写実主義の短編作家で、没落地主のー家を名園桜の園を舞台に描いた戯曲『桜の園』で有名。『桜の園』は今でもよく高校の学園祭などで上演されるが、名門女子高演劇部を舞台に漫画『桜の園』を描いたのは『カリフォルニア物語』『夢見る頃を過ぎても』の吉田秋生。それをさらに映画化して91年の映画賞を独占したのが日活ロマンポルノ出身の中原俊。原作もマンガも映画も傑作なんで、読むべし見るべし。



ゾラ(1840-1902)

写実主義をさらに強調し、遺伝学などの自然科学の成果も小説に取り組むことを主張した自然主表文学の作家・理論家。代表作は『居酒屋』で文学理論を説いた『実験小説論』も重要。もっとも入試で一番重要なのはドレフュス事件に際して“私は弾劾する”と真相究明を訴え、世論を盛り上げたことである。このため一時国外亡命を余儀なくされている。真相が究明され、意気揚々と帰国して後、ドレフュス事件をテーマにした小説を執筆中、煙突が詰まっていたにもかかわらず暖炉の火を消さなかったため、不完全燃焼による一酸化中毒で死んでしまった。



モーパッサン(1850-1893)

フランスの自然主義作家。母がフロベールの親友の妹であった縁から役所勤めの傍らフロベールに師事。貴族の家に生まれた女性が、幸福な少女時代と婚約時代を経た後、結婚した夫に裏切られ、我が子に裏切られていく生涯を冷厳に描いた『女の一生』(原題は「ある生涯」)で有名。この小説は出版されるやベストセラーとなり、トルストイにも絶賛されたが、作者は30過ぎから早くも梅毒が原因の視力障害、偏頭痛、幻覚に苦しめられ、42歳の時についに発狂しパリ郊外の精神病院に収容。架空の人物相手に話をしたり、花壇の前に立ち止まって「そこにはこれを植えよう。来年になるとモーパッサンの子供が生えてくる」と言ったという症状を残した後、死んだ。



イプセン(1868-1906)

ノルウェーの自然主義作家で代表作は戯曲『人形の家』この作品は一人の人間として自立して生きたいと、夫と子供を捨てて家出するノラという女性を描き出して、世界各地の婦人解放運動に火をつけたことでも有名。日本でも不倫騒動で世を騒がせた島村抱月と松井須磨子のコンビで上演され、「ノラ」は「新しい女」の代名詞となった。もっとも教養も手に職もなく、甘やかされて育った女性が当時の閉鎖的社会に飛び出しても、のたれ死にするか愛人として生きるか売春婦となるかしかないじゃないか、との批判をどこかで読んで、なるほどそれはそうだと思った覚えがある。



ストリンドベリ(1849-1912)

『令嬢ユリエ(ジュリー)』『痴人の告白』『死の舞踏』などを著したスウェーデンの自然主義作家・戯曲家。船会社を営む父とその女中であった母の間に生まれる不幸な生い立ちの下で攻撃的・論争的な性格の持ち主となり、女性に対する極端な愛と極端な憎悪の間を揺れ動いて三度の結婚生活に破綻。精神分裂病の傾向があり、女性不信を描いたその傑作群も、精神分裂病特有の被害妄想、追跡妄想の産物と言われる。遺伝学や精神分析を作品に生かそうというのが、自然主義の主張の一つであるから、これは極めて皮肉な現象。


ボードレール(1821-1867)

退廃の美を漂わせた詩集『悪の華』で有名なフランス耽美主義の詩人。アメリカの異端の作家エドガー=アラン=ポーの紹介者としても知られている。21歳で亡父の莫大な遺産を相続し、わずか2年でそれを使い果たし、以後は一生借金潰けの生活をおくった。苦境を脱するため1857年に出版された『悪の華』はごくごく少数の識者の評価しか得られなかったばかりか、公序良俗に反するとされて罰金刑に処されてしまい、更なる苦境に彼を追い込んでいる。世紀末になって象徴主義の詩人から先駆者として評価されたが、その名声の確立には死後50年を要した。



ヴェルレーヌ(1844-1896)

「巷に雨の降るごとく/わが心にも涙ふる…」と詩ったフランス象徴主義の代表的詩人。オランウータンと自噺した醜貌の持ち主であったが、詩名もあがり、美しい妻を得、パリ市役所という安定した勤め先も得て、さてこれから平凡であるが幸福な生活を築いていこうとしたまさにその時、彼が「わが悪霊」と呼んだ大天才美少年詩人ランボーが眼の前に出現。運命を狂わせていく。ランボーに魅せられた彼は仕事も妻も全てを捨て、ランボーと共にイギリスやベルギーを放浪する旅に出てしまい、その旅の果てに自分から離れようとするランボーを銃で狙撃し、監獄に二年間放りこまれてしまうのである。その間にランボーには去られ、妻からも離婚を宣言され、出所後は新たな愛人の美少年レチノアとともに農場経営を試みてうまくいかず、魔酒アブサンに蝕まれ、詩人としての評価が高まっていくのと反比例するように詩想も枯れてろくな詩もつくれなくなり、各地の施療院を転々とし、最後は同棲していた老売春婦の部屋で死んだ。これほどの転落の生涯もちょっと珍しい。



ランボー(1854-1891)

「見つけたぞ/何を/永遠を/それは太陽とつがった海だ」ヴェルレーヌ、マラルメとともに象徴主義の代表的詩人とされる彼は、『地獄の季節』『イリュミナシオン』をはじめとする詩の全てを20歳頃までには書き終えていた早熟の大天才であり、以後は一切詩を捨て、各地を放浪して、37歳の生涯の最後の10年はアフリカ各地を転々として過ごした。日本では受験の現国の定番小林秀雄に影響を与えたエピソードも知られている。もちろん映画「ランボー」とは何の関係もない、と言いたいところなんだけど、何とシルベスター・スタローンの映画監督としての最大の夢は彼の人生を映画化することであり、その時はもちろん自分が主演であるというインタビューを、10数年ほど前わたしは読んでしまったんだな。天地がひっくりかえったような衝撃を覚えたもんですが、それは、それは冒というもんだろう。なんであの垂れ目の筋肉男が、背徳の美少年詩人を演じられるというんだ。ヴェルレーヌ役は誰がするんだ。スタローンよりでかくて相手がつとまると言えば、ひょっとしてシュワちゃんか。そ、そうするとスタローンとシュワルツェネッガーのベッドシーンかー。それは怖いものみたさで見てみたいような気もする。以来製作発表の日を戦々恐々としながら心待ちにする日々です。と思っていたら、1996年、あのタイタニックで全世界に名をうったレオナルド・ディカプリオがランボーを演った『太陽と月に背いて』という映画が作られてしまいました。ディカプリオファン必見。



ワイルド(1856-1900)

へロデ王の娘で洗礼者ヨハネに異常な愛欲を抱き、舞踏の披露の報酬にヨハネの首を要求したサロメの伝説に取材した『サロメ』や『ドリアングレイの肖像』で有名なイギリス耽美主義の代表的作家。イギリスのカルトバンド“ザ・スミス”の元ボーカリス卜にしてイギリスの若者たちの最も尊敬する人物でもちろんホモのモリッシーが崇拝する人物。こんなネタばかりで申し訳ない。誤解のないよういっておくと僕はストレー卜でそちらの趣味はない。背徳の天才としてヨーロッパ社交界の寵児となるも、39歳の時アルフレッド=ダグラスという若い貴族と愛人関係になり、その父親から非難されたために訴訟したところ逆に男色罪で投獄され、2年後に出所した時には名声も失い、セバスティアン=メルモスと変名してフランスにわたり、飲んだくれの生括を続けた挙げく、パリの安ホテルで死んだ。死因は遠く20歳の頃かかった梅毒が脳に及んでの脳膜炎である。一部の人の夢をまたまた壊してしまうかもしれないが、人間の複雑さを示すためにあえて付け加えておくと、この人が傑作童話「幸福な王子」の作者です。



マーク=トウェイン(1835-1910)

トムソーヤの冒険』『ハックルベリフィンの冒険』などであまりにも有名な、アメリカ国民文学の創始者。本名はサミュエル=ラングホーン=クレメンズであり、船乗り言葉で“二尋”を意味するこの筆名は、南北戦争勃発まで子供時代より憧れていたミシシッピ川の水先案内人をつとめていたことに由来する。南北戦争勃発で職を失うと新聞記者に転じて活躍し、一方で小説の執筆を開始。最初の作品は南北戦争後、グラン卜大統領のもとで腐敗したアメリカの現状を痛烈に批判した『金メッキ時代』である。この「金メッキ時代」という言葉は,そのまま南北戦争後の社会矛盾が拡大した時代風潮を示す歴史用語となり、ついに東京書籍の世界史Bの教科書にも登場。入試でも出題例があるので要注意。富豪の娘と結婚し、国民的作家として尊敬を集めて大邸宅を構え、専用列車で旅行するような生活をおくるが、作品やこの生活から想像されるものとは裏腹に、晩年は打ち続く家族の不幸もあって、暗い性格と人間観の持ち主になっていたという。