王重陽(1113-1170)
陝西の荘園地主の子に生まれ、幼い頃より勉学に励んで、金の科挙に合格。ところが期待したほどの出世がえられなかったために官を辞し、俗世を批判して、一時仏教に帰依した後に道土となった。金朝支配下の華北で腐敗堕落して単なる迷信と化した従来の道教を批判し、儒教と仏教、特に禅宗の教えを取り入れて革新道教の全真数を確立。もっとも預言者故郷に入れられずで、故郷の近くで教えを説いた時は狂人あつかいされ、山東地方で布教してはじめて成功を治め、従来の道教(正一教)と道教界を二分する大勢力となった。弟子をつれて故郷に帰ろうとして果たせず、途中開封で病没。