アダム=シャール(1591-1666)
本名シャル=フォン=ベル。中国名湯若望。ドイツのケルンの人で、イエズス会士となり1622年中国に到着。1610年のマテオ=リッチの死後、イエズス会は一時北京を追われていたが、徐光啓の進言により、明朝がヌルハチ率いる満州兵への対抗策として西洋の大砲を求めた結果、許されて北京復帰を果たした。この時のイエズス会士の中心となり、明朝のために大砲を鋳造。また天文学に造詣が深く、徐光啓のもとで西洋天文学書の翻訳に従事し、『崇禎暦書』として42年宮廷に上程。44年明朝が滅び清朝にかわると、清朝に西洋天文学によって暦を作成することを命じられ、崇禎暦書をもとに時憲暦を作成。この暦は清朝滅亡まで用いられた。46年には欽天監監正(天文台長官)に任じられて順治帝の知遇を得たが、これによって元以来のイスラム天文学者や中国伝統の天文学者の嫉妬をかい、康熙帝即位に際して讒言されて投獄され、一時は死刑を宣告される。かろうじてこれは免れたものの、その後憤死に等しい死をとげた。