第二回 フジテレビ「古畑任三郎スペシャルすべて閣下の仕業」を見る
 (できれば、古畑調で読んで下さい)

 え〜、言わずと知れた田村正和主演、三谷幸喜脚本、河野圭太演出のミステリ・ドラマの2004年新春スペシャル版です。

 今回は二時間を超える枠を充分に活用して、かつて陣内孝則が犯人役を演じたオーストラリア編のように間延びすることなく、非常にわかりやすく丁寧に作られていました。花田くんの出演、赤い洗面器の話と「古畑」フリークにも気を遣い、最後には、あっと驚くガルベスくんの正体と、なかなかの出来だったと思います(花田くんは、泡坂妻夫の亜愛一郎シリーズに登場する三角形のおばあさんですね)。

 わかりやすく丁寧とはいえ、松本幸四郎演じる大使がどこに死体を隠したかということへの謎解きのヒントが三つもありまして、これについては、正直なところ、三つめのパクチーの話は余分だったのではないかと感じました。まえのふたつで充分謎が解けるからです。しかも、もっと重大な問題が、それに伴い発生しているように思われるのです。

 大使がどこに死体を隠したのかということが今回の事件のポイントの一つになってはいても、大使がどのようにして死体をその隠し場所へ移動させたのかということが、全く触れられていません。ドラマの終盤で、死体を発見させるために大使が死体を引き摺っているシーンがありましたが、隠す際も同じように引き摺ったのでしょうか? 2度も引き摺ったのであれば、死体の着衣に当然そのような痕跡が残っているはずですが、誰も気づかなかったのか、問題にはされていませんでした。大使が死体の着衣を替えたわけでもありません。

 そんな細かいことを気にするな、という意見はあるでしょう。わたしも、そう思います。死体の移動方法など、ここでは問題ではないはずなのです。だが、それに関するシーンを映してしまいました。

 どうやって死体を移動させたのかということを問題にしないのであれば、そのようなシーンを見せなければよいのです。提示されないシーンは問題化されません。

 パクチーは、大使が死体を隠し場所から移す際に死体に付着してきたものです。死体の隠し場所をパクチーで暗示したいがために、死体の移動シーンを見せました。たぶん、パクチーの暗示がなくても、死体の隠し場所は分かるはずなのに、です。

 そのシーンのため、大使の死体移動方法についての疑念を発生させてしましました。不必要な暗示シーンが新たな疑念を呼ぶ。パクチーは二重の意味で不必要だったのではないでしょうか。

 ただ、「古畑」は、一部のミステリ・ファンだけを相手に作られたわけではなく、マス・メディアの最たるものであるTVドラマです。TVが常にそのポピュラリティーを問われる媒体ある以上、多少説明過多になるのはやむを得ないのでしょうか〜。残念でなりません。

 あ〜、そういえば、これは直接「古畑」とは関係ないのですが、最近のTVドラマの大仰な演技、気になりませんか?

 80年代のいわゆる「トレンディー・ドラマ」あたりからの風潮だと思うのですが、大した山場でもないのにやたらと喚き叫ぶ男女が多くありませんか? 脚本のせいでしょうか、役者の演技力の問題でしょうか、それとも演出?
  
 辟易します。

 「古畑」は主役の古畑任三郎自身が極めてエキセントリックな性格ですから、他の登場人物が多少大仰な演技をしても「古畑」の世界を崩すことにはなりません。よく考えました。物語世界の構築の見事な例といえるでしょう。

以上、高円寺エンターティメント研究所でした。

評点6.8(この中途半端な点数は、今回の「古畑」に今泉くんが出ていなかったことへの減点があるからです)
                                     了