◎鎬京/長安

現在陜西省の西安
陜西省の渭水の流域に広がる関中平野の中心都市
西周の武王が鎬京として造営。前770年に犬戎の侵入で洛邑に遷都するまで周の都
周室の移動の後、この地域に進出して諸候として認められたのが
秦の孝公は、渭水の北岸に咸陽を造営し、都
高祖は、旧鎬京の近郊に長安を造営し、都
時に赤眉の乱によって荒廃し、後漢では都は洛陽に移る
北朝の西魏より再び都。以後北周でも都
文帝は、漢の旧都の南東に新たに都城を造営し、大興城と命名
唐の長安城は、隋の大興城を修築したもの
碁盤目状の街区に分かれ、その街区を坊と称した。
商業は坊のうち、東西の「」と称した区画でのみ許され(商業の場所の制限)た。