世界を身近に感じる、その度合いが年々高まっている。インターネットによる情報革命。資本主義が国境を越えて拡大(たとえば、トヨタと本田以外の全ての自動車メーカーに、外国資本参入)し、経済競争が激化し、世界システム論が説く不平等な国際分業体制が、グローバリズムの名称でますます進展していることを痛感せざるをえない、日本の経済状況。そういったことを、世界が身近になった理由として挙げることが出来るけど、僕は日本人の人間関係の基本にあった「世間」が、急速に解体し、変質しようとしていることが、大きな要因じゃないかと考えてる。

「世間」とは何か、とは、中世ヨーロッパ史の権威で元一橋大学学長の阿部謹也が最後に取り組んだテーマだった。欧米の「社会」と類似し、「社会」に代替されてきたものの、「社会」とは似て非なる「世間」。近所付き合いから、ワイドショー的マスコミにおいて出現する言説空間にいたるまで伸縮自在かつ重層的にあらわれる「世間」という日本人の人間関係の基礎をなす概念は、極めてやっかいである。が、明確に言えることを数え上げてみよう。
1、日本人の帰属意識は「世間」に対してある(あった)
2、世間はいくつも存在する
3、身近な世間にほど、帰属意識を強く感じる
4、世間でどう思われるか、が大事であって、世間の外の世界に関しては、無関心になりやすい
5、自分が属する世間の利益を優先することで、その世間そのものが属している上部団体の利益
をそこなう場合がしばしばある
昨今話題の外務省に例をとろう。
第二次世界大戦中に、リトアニアの領事代理だった杉原千畝という外交官がいた。ナチスドイツの迫害からユダヤ人を救うために、独断でユダヤ人のためにビザを発行しつづけた人だ。その杉原千畝は、第二次世界大戦後、独断でビザを発行した責任を問われて外務省から解任された。一方、太平洋戦争勃発にあたって、前日の同僚の送別パーティーで寝過ごしため、宣戦布告文書をアメリカ政府に渡すのが遅れ、真珠湾攻撃が宣戦布告前になってしまうという前代未聞の失態をしでかした外務官僚たちは、戦後も外務省にとどまり、順調に出世を重ねた。しかも宣戦布告の遅れに関する事情は、国民に秘匿され続けた。
非道い話である。
外務省を支配するキャリア組は、キャリア組ではなかった、つまり自分たちの身内ではなかった杉原千畝は冷酷に解雇し、失態を犯した仲間はかばいつづけた。彼らが、外務省という「世間」の掟に従い、外務省の省益を守ろうとした結果である。ところが、本来外務省は、外交を通じて国益を追求することが任務だった筈である。では、国益追求のための最善の判断は何だったのか。杉原千畝のイスラエル大使抜擢、である。僕はこのアイデアを小室直樹の著作で知ったけど、確かにそうだ。でも外務省はそうしなかった。国益追求のための機関の筈の外務省が、国益を犠牲にして省益を守ろうとした姿が浮かび上がる。同じようなことは、同時代の日本陸軍のエリートたちの行動にも、しばしば現れる。「お国のため」を口にしながら、軍部の利益を国益より重視し続けた彼らは、大日本帝国を崩壊に導いていくのだ。
もちろん、身内の論理、内輪の利益を最優先するのは日本社会だけの現象ではない。でもそれが、旅の恥はかき捨て、という言葉に見られるような、外部の視点を欠如した「世間」における人間の結合の仕方に顕著に現れるということは言えると思う。
戦前の農村社会の日本において、「世間」はまず何よりも農村地域共同体だった。しかし、戦後の急速な工業化と人口移動で農村地域共同体が崩壊に向かう中、「世間」の中心は「会社」に移る。「会社人間」の登場である。終身雇用、年功序列の神話が、「会社」を世間にした。しかし、この10年間の不況で終身雇用も年功序列も放棄され、会社という世間に頼ることは出来ない、という現実が我々に突きつけられた。また、雪印事件に象徴されるように、「世間」の論理がまかり通る業界や企業ほど、この不況下ではやっていけなくなっている。
「世間のつきあい」にさえ、気を配っておけば良かった時代は終わり、我々は「世間」を介してではなく、個人個人として直接、世間の外にあった「世界」に向かい合わなければならなくなってきた。それが、冒頭に述べた、「世界を身近に感じる」理由ではないか。
「世間」の評価(例えば鈴木宗男。田中外相を喧嘩両成敗で解任に追い込んだ時、彼は「橋本派」という世間からは英雄のごとく迎えられた。あの一瞬は。)という相対的評価の有用性は失われつつある。絶対的評価にこそ、備えなければならない時代が到来しつつある。