{定型・3wordsショートショート大会}
   (ネアンデルタール人 しょう油 少女)

  末世展望
          中村富由彦

 この年、「ネアンデルタール醤油ラーメン」で食料品業界に話題をまいた、ネアンデルタール食品株式会社は、千葉県野田市に本社と工場を持つ、資本金一 億、常庸従業員二八〇人の新興食品会社である。とは言え、資本金一億と言えば典型的な中小企業で、前述の商品が発売されるまでは、同じ野田市に本社を置く大手キッコーマン醤油の系列下にある一下請け企業にすぎなかった。そのネアンデルタール食品が、何故他の大手食料品会社を脅かすほどの存在にまでのし上がり得たのか。それはまったく現代の神秘としか言いようがない。何故あの、何の変哲もないネアンデルタール醤油ラーメンが、年間二千万食も売れたのか。何故チャルメラや王風麺ではいけないのか。何故サッポロ一番や出前一丁じゃだめなのか。何故ネアンデルタールなのか。ううう。それはまったく現代の神秘としか言いようがない。


 
ネアンデルタール食品(以下ネ食品と略す)の社長は筒井筒安高という新潟県出身のシティボーイで、年齢不詳、身なりは無精、祖先は武将、昔御不浄で転んで負傷したという不肖の息子である。生まれる前に母を失い、少年時代は不遇であったという。彼は昨年、亡き母のブルマを抱いて夜逃げした父を捜しもとめてちばけんにたどりついたが、めんどう臭くなったので東武線の野田市という駅で降り、げらげら笑った。思えば彼はこの時既に気が狂っていたのかも知れないが、それが後のネ食品発展に思わぬ功を奏することになる。彼がプラットホームでいつまでも笑っているので、堅気の人たちは気味悪がって逃げたが、そこへ一人の気の良さそうな外人が近づいてきた。その名をヘルベルト・フォン・ネアンデルタールと言う。ドイツ人だがネアンデルタール人ではなかった。一八五八年原始人類の頭蓋骨が発見されたネアンデルタール地方の出身という由。彼は祖先の莫大な遺産を相続していたが、惜しいかな気が狂っていて図らずも日本へやってきてしまった。筒井筒氏は彼を一目見て、彼こそ自分の人生の最高の伴侶となるにふさわしい人物と思いつめてしまい、彼の手をつかんで離さな
かった。ネ氏は初めこそ面喰った様子であったが、昔縁日で買ったアトムのお面を喰ったことがあるとかで、二人はただちに意気投合した。ネ食品の歴史はこうして始まったのである。


 
ネ食品株式会社は、ある日突然、千葉県野田市の中心市街にたけのこのように現われた。事実たけのこ型をした建物に、突然二八〇人の社員がうごめき始めた。筒井筒氏は、別に食品会社にこだわったわけではなく、ネ氏は、とにかく何か世の中のためになることをしようと提言したのだが、ネ氏は何せ気が狂っていたので、チバハショーユーメイサンチネ、コレリヨウシナイテハナイネ、クーテンモルゲン、デアデン、と主張し、とうとう氏の全財産を投じてネ食品は創立されたのである。社員は公募で集めたが、全員気が狂っていた。ネ食品は目ざとく隣接するキッコーマン醤油に食いつき、まずはキッコーマンのそばつゆの製造を強引に委託させてしまった。ネ食品のそばつゆはドイツ仕込みで味が良く好評だった。ネ氏の頭にはその時既に、そのつゆを利用したインスタントラーメンを商品化する構想ができ上がっていた。



 その年の十一月、抜き打ちで予告なしに新発売されたネアンデルタール醤油ラーメンは、さすがに知名度の低さが手伝ってか、売り上げは停滞し、返品が相次いだ。筒井筒氏は、このラーメンには社命がかかっているのだ、なんとかしなければと奮起し、一日がかりでCMを作成し、全国の大手20局のTV局から放映を開始させた。食事前の午後六時を狙って大々的にオンエアされたこのCMは、全く異常な内容であった。三人のネアンデルタール人が成田空港の主滑走路の上を、らあめん、らあめん、しょうゆらあめんと喚きつつインディアン踊りを続けるのである。そしてその周囲では熊が背中をかいていたり、老人が鼻をかんでいたり、まぐろがとぐろを巻いていたり、田淵が顔を洗っていたり、ばったが死んでいたりする。そしてその、一見何の脈絡もないような光景を縫い合わせるように、バッハの無伴奏パルティータがかん高い旋律を奏でるのである。それを目の当たりにした視聴者達は一斉に面喰ったが、その中には昔縁日で買ったアトムのお面を喰った人もいてなかなかの評判であった。この異常なCMは異常なるがゆえに人々の目に焼きつき、ネ醤油ラーメンの知名度は揺るぎないものとなっていった。CMによる知名度の上昇と、商品そのものの味の良さが相まって、ネ醤油ラーメンは一躍インスタントラーメン界のベストセラーとなった。しかしまだその時は、何故ネ醤油ラーメンなのかという疑問さえも、人々の口上に登ることはなかったのである。



 ネ醤油ラーメンで年間三〇億の収入を上げたネ食品は、翌年新製品のネアンデルタールタンメンを世に問うて連続ヒットを狙った。筒井筒氏は前回の例もあったので、特にCM作成に全身全霊を傾けた。こうしてできあがったCMは、醤油ラーメンの上を行く見事な内容を備えていた。
 CM
 中学校の体育館で、体操着姿の少女達がバスケットボールをしている。その中で、見学らしくセーラー服のままでいる女生徒が、隣に腰かけている親しい友人に話しかける。
 「ユキもタンメンにしたの?」
 「うん。ネアンデルタールタンメンなら、“おてもと”っていう木の割ばしがついているから、初めてでも簡単よ」
 「そう、私もタンメンにしようかな。じゃあね」

 CM
 原田美枝子そっくりの女性が、頭の上に本を乗せて、それを落とさないように必死になりながら、
 「三六五日の六五日でしょう。食べちゃえばいいのに、タンメン……少しだけ勇気を出して。勇気をお出し。ふふふふ」
 ――この二種類のCMは放映前から様々な反響を呼んだ。視聴者の声は次の通りである。
 「異常である。極めて異常である」
 「美しい。このセンスを待っていた」
 「不潔さを感じさせない素晴らしいCMです。娘にも安心してタンメンを食べさせてあげられます」
 「不潔さを感じさせない素晴らしいCMです。息子も喜んでタンメンを食べることでしょう」
 「年寄りにはようわかりまへん」
 「CM界の常識を覆す異色作である。極めて異色である」
 「ばってん、そげんこつはなかとですたい」
 「イイこまーしゃるダトオモイマス。あめりかデモサッソクショウカイシタイデス。ねあんでるたーるたんめんオイシウトオモイマス、ワタシう゛ぇりいはっぴいネ」
 「どっこい、どっこい、どっこい小作」
 「なによ、なによ、タンメンがなによ。いやらしいわね」
 「角は丸くした方がいいと思う」
 「ラーメン界の常識を覆す意欲作である。極めて意欲である」
 「親子で見るのはちょっと恥ずかしいです」
                   ――等々



 それは今まで全く現代の神秘としか言いようがなかった。何故ネアンデルタールなのか。
 その年、その疑問がある一部の人達の会話の中に、しばしば聞かれるようになっていた。しかしその状態も長くは続かなかった。やがてその疑問が疑問でなくなる時がやってきたのだ。神秘が神秘でなくなる時が……。
 その年、人類は死滅した。東京大学法学部の一教室に、数人の常識人を残して。
 一九九九年、六月のことである。
               (終)