阿倍仲麻呂(701-770)
遣唐使の一員として唐にわたり、玄宗皇帝に仕えてついに節度使にまで出世した。しかし望郷の思いやみがたく、753年玄宗皇帝の許しを得て帰国の旅に上ることになった。その時彼が作った歌が有名な「あまのはら/ふりさけみればかすがなる/みかさのやまに/いでしつきかも」である。しかしこの渡航は失敗して船は安南(ヴェトナム)まで漂流し、そこで180余名のうち、170余名までが殺されるというめにあった。この時、彼も死んだという情報が伝わり、親交があった李白が、彼の死を悼む詩を作っている。しかし彼は危うく難を逃れて2年後にやっと長安に帰ったものの、安史の乱の勃発もあってついに日本に帰ることはかなわず長安で没した。