ケプラー(1571-1630)

ドイツの天文学者。貧家に生まれてしかも7か月の早産であり、生涯病弱であった。ために教育を受け始めたのはやっと13歳になってからである。コペルニクスの地動説に感動して天文学の研究を志し、地動説を数学的に論証。ケプラーの法則遊星運行の法則あるいは惑星の3法則)を発見。しかし当時のドイツは、航海事業に乗り遅れた上に三十年戦争の混乱のさなかにあり、彼もその中で貧窮の生活を余儀なくされた。1630年熱病で死んだが、その死は実質餓死に等しいものであったと伝えられる。