仇英(生没年不明)
16世紀前半頃に活躍した院体画(北宗画)の画家である。院体画は南宋の画院の流れを組む画風であり、その画家は出身身分の低い者が多く、文人画の画家からは、画家というよりも職人的な画工として一段低く見られていた。彼も低層の出身であったが、古画の模写などを通じて刻苦して技術を高め、筆力を尊重しながら正確無比な描線を駆使する画風を完成。20歳の頃より識者に認められ、同時代の代表的文人画家の文徴明からも画仲間として遇されたという。人物描写、特に美人画に優れ、明末から清初にかけて流行した「士女風俗図」に大きな影響を与え、さらにわが国の浮世絵にも影響を与えた。40代で没したとみられている。