ダンテ(1265-1321)

フィレンツェに生まれ、35歳で市の行政官となる。神聖ローマ帝国ホーエンシュタウヘン朝の没落と大空位時代によって、イタリアを分裂させたたまま影響力を維持しようとする教皇とフランス王の勢力が強まっていた時代状況において、イタリア統一を願う皇帝派の指導者として、敢然と反教皇の立場をとり、教皇派にたちむかうも、翌年には政争に敗れ、フィレンツェを永久追放。生涯二度と、生まれ故郷に還ることはなかった。後にみずからのべるようにイタリア中を「物乞いしつつ」放浪し、42歳の時から当時「俗語」として軽視されていたトスカナ方言で不朽の名作『神曲』を書き始める。ウィクリフの英訳聖書によって英語が、フスのチェコ語訳聖書でチェコ語が、ルターのドイツ語訳聖書によってドイツ語が確立されたように、彼の『神曲』によってこそ、国語としてのイタリア語が成立する。19世紀後半まで続くイタリア分裂の状況において、イタリア人が集団としての概念を失わなかったのは、ひとえにこの「共通イタリア語」のおかげであり、またイタリア統一の悲願は彼を尊敬し、その業績を継ごうとする知識人の中に、生き続けることになった。現実の政治に敗北
したダンテは、しかしこの『神曲』によって歴史上巨大な役割を果たすことになるわけである。ちなみに『神曲』は案内者にローマ時代最大の詩人ヴェルギリウスを設定していることや、永遠の美少女ベアトリーチェの存在などで有名であるが、地獄編の中で同時代の知人の地獄に落ちた様を描いていたりして、なかなかにえぐいぞ。