シュメール人がチグリスとユーフラテスの川の間の地域,すなわちメソポタミアに人類最初の文明を築き,やや遅れてナイル川流域にハム語族が文明を築いた。メソポタミアではシュメール人にかわってセム語族が有力となるが,やがてインド=ヨーロッパ系の侵入がおこり,最初に鉄製武器を使用し,小アジアに拠点をおいたヒッタイトが有力になる。一方古王国,中王国とハム語族の長期王朝が続いたエジプトは,遊牧民族ヒクソスの侵入と支配を受けて馬と戦車の使用法を学び,ヒクソスを追放した新王国からは,その武力を背景にシリアに進出した。かくして前15世紀〜前13世紀にかけてはヒッタイトとエジプト新王国の2大帝国対立の情勢が続く。しかし,前13世紀末からおこり,エーゲ文明を滅亡させた東地中海における民族の大移動は,「海の民」の活動を活発化させ,その侵入を受けてヒッタイトは滅亡し,エジプト新王国は衰退した。そして2大国の衰退はシリア地方の民族の活動を促し,フェニキア人が海上交易で,アラム人が内陸交易で活躍してオリエントの一体化をすすめた。また,ヘブライ人の一神教は,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教を生み出すことになる。前7世紀にはアッシリアが,前6世紀にはアケメネス朝ペルシアがオリエントの統一に成功する。
オリエント文明は,周辺地域に影響を与え西方にギリシア・ローマの古典古代文明を,東方にアケメネス朝,ササン朝に代表される古代イラン文明を成立させた。まさに「光は東方より」である。そしてオリエントはやがてこの古典古代文明と古代イラン文明の抗争と交流の地となっていくのである。