出題年:2000年
出題校:一橋大学
問題文
次の文章は,アメリカ合衆国のジミー・カーター大統領が1977年5月22日におこなった演説の一部です。これを読んで,下記の問1.問2に答えなさい。
わが国の未来を揺るぎないことを確信しているゆえに,現在われわれは共産主義に対して過度の恐怖を抱いていない。かつてはその恐れのために,独裁者であっても,われわれと同じ恐れを抱いている者とは手を結ばざるをえなかったのである。あまりにも長い年月,われわれはみずから敵対者の不完全で誤った原則や戦術を取り入れようと努め,ときには彼らの価値観を受け入れて自分自身の価値観を放棄した。われわれは火と戦うのに火をもってし,火は水をもって消す方が良いことに気がつかなかった。
このような方策は失敗に終わった。知性と道義心に欠けたその方策がもたらした最悪のものがヴェトナム戦争であった。しかし失敗を通じてわれわれは今や自分自身の原則と価値観に立ち帰る道を見いだし,失った自分を取り戻したのである。(有賀貞訳)

問1.この演説の背景となったアメリカ合衆国のヴェトナム戦争介入の歴史(1954〜75年)について,その原因と結果を具体的に述べなさい。(200字以内)

問2.ヴェトナム戦争介入がアメリカ合衆国の社会と対外関係に与えた影響を具体的に述べなさい。(200字以内)

解答例

問1
インドシナ戦争でジュネーブ休戦協定が結ばれ,フランスの撤退と2年後の南北統一選挙が約されたが,アメリカのアイゼンハウアー政権は調印を拒否し,ダレス巻き返し外交の一環として,ドミノ理論に基づき東南アジアへの共産主義拡大阻止を口実に介入した。しかし73年ニクソン政権はパリ和平協定で撤退した。その後南ヴェトナム解放民族戦線とヴェトナム民主共和国の攻勢でサイゴンが陥落し,ヴェトナム共和国は崩壊した。
問2
ヴェトナム戦争の賛否をめぐり国論は2分し,国民間の対立は深刻化した。反戦運動はロックやヒッピームーブメントなどカウンターカルチャーと結合し,黒人解放運動とも提携した。対外的には国際的なヴェトナム戦争批判に加え,国際収支の悪化によるドル危機で国際通貨制度の基本であった金ドル本位制が崩壊したことで,アメリカの威信は低下した。そのため外交による威信回復を図って中国訪中などデタントを演出していった。