トーマス・マン(1875〜1955)
20世紀前半のドイツ文学を代表するドイツの小説家。ハンザ同盟都市リューベックで穀物商会を営んできた豪商の家に生まれる。リューベックの豪商一族の没落を描いた最初の長編小説であり、後にノーベル文学賞の受賞対象となった『ブッデンブローク家の人々』には、マン自身の出自が反映している。第一次世界大戦中は、保守的愛国主義の立場に立ってドイツ帝国と戦争を擁護し、戦争反対の立場に立った兄のハインリヒ・マン(作家で、第二次世界大戦ではフランスで反ファシズム活動の中心的人物となり、ドイツのフランス占領でアメリカに亡命)と対立したが、ヴァイマル共和国時代には一転して民主主義の擁護を主張し、ファシズムに反対。ヒトラーの政権奪取によってドイツを去り、スイスに移る。1938年にはアメリカに亡命。戦後は分裂した東西ドイツのどちらにも帰国せず、49年にはゲーテ生誕200年の記念講演をゲーテ生誕の地である西ドイツのフランクフルトと、ゲーテが宮廷枢密顧問間を務めた東ドイツのヴァイマルの両方で行った。しかし東ドイツでの講演にマカーシーを初めとするアメリカの反共保守主義者が反発し、“赤狩り”の風潮に巻き込まれ、52年にアメリカを出てスイスに戻り、生涯を終えた。亡命時代、マンはドイツの傲慢な民族主義を批判しながらも「私のいるところに、ドイツがある」という自筆の言葉を自宅の壁に掲げ、「ドイツのためのヨーロッパではなく、ヨーロッパのためのドイツ」を願って「ドイツの良心」たらんとした。その精神は1990年のドイツ統一や、1993年のEUの発足につながる。他の代表作に『魔の山』がある。
参考『トーマス・マンとドイツの時代』(小塩節、中公新書1992)