ライプニッツ(1646-1716)

15歳で大学入学が認められた早熟の天才で、微分・積分数学を創始した優れた数学者であり、単子<モナド>を世界の構成要素とする単子<モナド>論を唱えて科学と宗教の統一を図った合理論の哲学者でもある。その他にも法学者、外交官としても活躍し、オランダを訪れた際、死の直前のスピノザと哲学問答を交わしたことが知られている。しかし晩年は悲惨で、宮廷から冷遇され人々から忘れられ、通風で死んだときには葬儀に出席したのは秘書ただ一人であったという。墓の所在すらわかっていない。