ニネヴェ
前8Cよりアッシリアの都。アッシリアは鉄製の武器戦車に加えて騎馬戦術を採用し、前9世紀から活発な征服活動をくりひろげ、征服地を属州として総督を派遣して直接統治し、一部は服属した王に統治をゆだねて属国とした。この帝国統治の方法は、アケメネス朝やローマ帝国にも継承されたが、アッシリアの統治方針はティグラト・ピレセル3世(在位前745〜前727)が強制移住政策を採用したように強圧的なもので、しばしば各地の反乱をまねいた。イスラエル王国を滅ぼしたサルゴン2世(在位前721〜705)も、イスラエル人を本国に連行している。最大版図を実現したアッシュール・バニパル(在位前668〜627)はニネヴェに大図書館を造ったことで知られるが、王のあと後継問題から混乱が続き、前612年にはメディア新バビロニアの連合軍にニネヴェを占領され、前609年にはアッシリア帝国は完全に滅亡した。


参照地図
ハイパー世界史ノート