班固(32-92)
司馬遷の『史記』と並び称され後世の史書の手本となった前漢一代の歴書『漢書』の著者であり、後漢第一と後世称されて『文選』の巻頭を飾った賦の名手であり、なおかつ西域都護としてその名も高い班超の兄でありながら、司馬遷と同じく彼もまた不遇の一生を送った。中傷を受けて官位はすすまず、しかも「国史の改作をしている」との訴えで投獄。弟班超の無実の弁明でこの時は許されたものの、後に将軍實憲の匈奴討伐に従軍したさい、匈奴軍に敗北して責任をとわれて免官。更にその数年後、實憲が宦官に計られて謀反の疑いを受けて自殺すると、巻き込まれてまたもや投獄され『漢書』完成途上で獄死するのである。しかし彼の遺志は博学多才のほまれ高い、妹の女流作家班昭に受け継がれ、父班彪以来の悲願であった『漢書』の完成を見る。