仏図澄(?-348)
シルクロードの天山南路北道の要衝クチャの人。大乗仏教を中国に布教せんと来中し、西晋末期の混乱期に洛陽で民衆救済のための活動と布教をおこない、神通力をふるって王朝の支配者の支持を獲得し,華北仏教の基礎を築いた。117歳で没したと伝えられる。弟子の育成にも力を注ぎ、その数1万人といわれる。その中には後に浄土教の祖慧遠の師となる名僧道安がいる。