陶淵明(365-427)
「帰りなんいざ、田園まさにあれなんとす、なんぞ帰らざる」の帰去来の辞で知られる東晋から南朝宋にかけての田園詩人。桃源郷のユートピア物語『桃花源記』の作者としても有名で、これは諸星大二郎がひねりを加えてちょっと怖いマンガ作品に仕立てている。束縛を嫌い、田園で酒を愛し、菊を愛して暮らす隠逸の人…と紹介されることが多いが、実はなかなかそれだけの人ではないぞ、この人は。「願わくは衣にありてはえりとなり、華首の余芳をうけん。願わくは裳にありては帯となり、美人の繊身を束ねん(なれるものなら、上着ならば襟となって貴女のかぐわしい髪の匂いにつつまれていたい。なれるものなら下着ならば、帯となってあなたのたおやかな腰をしめていてあげたい)のような煩悩につつまれた恋の詩をつくっていたりもする。意外とすけべである。また、彼には有名な「成年重ねてきたらず、一日再びあしたなりがたし。時に及んでまさに勉励すべし、歳月は人を待たず」の句がある。これは若いときは二度とこない。一日に二度朝はこない。だから一生懸命勉強しなさい。時は人を待ってはくれないよ…と勉強を勧めたものであるとされて、よく先生が教訓たれるのに引用される。君たちも小学校か中学校か高校かで校長先生の朝の朝礼で聞かされたことがあると思う。でもホン卜はこの句の前に「歓を得てはまさに楽しみをなすべし、斗酒比隣を集めよ」とあり、意味は、うれしい時にはこころゆくまで楽しみ、酒をたっぷり用意して近所の仲間と飲むがいい。若いときは二度とはこない。一日に二度目の朝はこない。楽しめるときにはせいぜい楽しもう。時は人をまってはくれないよ…というのが正しい。つまり、実は若者に勉強ではなく酒を勧める詩だったんだな。そういえば「少年老いやすく学なりがたし」という朱子の言葉も、江戸時代の坊さんが稚児にしている美少年におくった、いわば男色の恋文がもとで流行したという話をどこかで読んだような。いや困ったもんだ。