ミケーネ

ギリシア本土にインド=ヨーロッパ系ギリシア人の一派アカイア人が建設したミケーネ文明の中心地。ミケーネ文明は、1874年からシュリーマンによって発掘され、その存在が明らかになった。防御施設や権威を誇示する城門を持たなかったクレタ文明とは対照的に、巨大な城門が出土し、宮殿も城塞としての性格が強く、軍事的(尚武的)文明であったと考えられている。クレタ文明を支配下におき、の『イリアス』にうたわれたように、トロヤとも戦ったらしい。
しかし前13Cから前12Cにかけてバルカンの諸民族の大移動の波が起こり、その混乱の中で南下してきたドーリア人によって破壊された。この混乱時に出現したのが、ヒッタイトを滅亡に追いやり、エジプトの新王国を衰退させた「海の民」であるが、ミケーネ文明の滅亡自体を「海の民」の攻撃に帰す説もある。クレタ文明の影響を受けて線文字Bという文字を使用し、ヴェントリスによって解読されているが、線文字Bはミケーネ文明滅亡の混乱時に使用されなくなり、ギリシアは文字を持たない暗黒時代に突入する。