魏源(1794-1857)
清末公羊学の先駆者。進士及第は1844年と遅かったが、その以前に前漢で董仲舒が説き、清末になって政治改革実践の学として復活した公羊学を学び、中国社会の矛盾と外国勢力の圧力が表面化してきた時代の先覚者として執筆括動にはいっていた。1840-42年のアヘン戦争にも参加し清朝の敗北に直面。この時、盟友であった林則徐に、彼が進めていた外国研究の成果を託された。その体験をもとに、42年には、清朝の盛衰を描いた『聖武記』44年には近代的軍備の必要を訴えて、世界地埋や、西欧諸国の実情を紹介した『海国図志』を著す。官について後は、地方官として各州の知事を歴任し、太平天国の乱でも従軍している。変法思想の先駆者でもあり、その著作は吉田松陰など、日本の幕末維新連動にも大きな影響を与えている。