ユーラシア大陸の北方には、西に黒海北方の南ロシア草原、東に中国北方のモンゴル高原の2大草原があり、その間に大小様々の草原が連なって、東西に広がる草原地域を形成する。
この地域で生活する人々は牛や羊の遊牧を生活手段とし、やがて直接馬に乗る騎馬技術が発達すると、その優れた戦闘力を生かして農耕定住民の世界を脅かすようになった。
同時に彼らが行き来する草原地帯は、草原の道としてユーラシア大陸を東西に結ぶ三大交通路(他に中央アジアのオアシスの道と、地中海・インド洋・南シナ海を結ぶ海の道がある)の一つとなる。
ユーラシア大陸の歴史を動かす大きな要因として、農耕定住民と草原遊牧民とのかかわりがあげられる。西アジアのイスラム文明圏と東アジアの中国文明圏を初めて統合し、大交流時代をもたらしたモンゴル帝国は、その典型的な例である。