柳宗玄(773-819)
叙景・叙情に優れ韓愈とならび称される中唐の詩文の大家。唐宋八大家の一人。屈原に傾倒したが、詩には六朝の自然詩入、陶淵明の影響がある。21歳で進士に合格し、順調に政治家としてのキャリアを重ね、32歳の頃、徳宗の死を契機に政治改革派が政権を握るとその中心人物として活躍。しかし一年後、改革派が政争に破れ弾圧されると地方に左遷。10年後長安に呼び戻されたものの、すぐにさらに遠方の柳州(現広西省)におくられ、47歳でその地に没した。一方で家庭生活では30歳頃までに父・妻・二人の姉を次々に失っている。このような政治面での不遇・家庭生活の不幸は、皮肉なことに彼の作品をよりすぐれたものにしたといわれている。同僚でもあった韓愈は、古文復興運動の盟友であったが、韓愈が仏教を毛嫌いしたのに対して、彼は特に左遷後は、禅に親しんだことが知られている。