(1548-1600)
イタリアのドミニコ派の修道士であったが、コペルニクス地動説に注目し、地動説と、その影響を受けて独自に展開した汎神論を唱える。その説が異端視されると、1576年法衣を捨ててイタリアを脱出し、スイス・フランス・ドイツ・イギリスと教会の追っ手を逃れながら、自説を説いてまわる。その結果地動説が世に広く知られ、地動説が教理上の大間題として浮上してくることになった。1592年帰国したところを捕らえられ宗教裁判にかけられるが、7年に及ぶ裁判、8年に及ぶ投獄生活にも自説を曲げず、ついに異端者として火刑に処された。