新潟スタジアム    評点5.5(10点満点。以下同)

 

 愛称ビッグスワン。ビッグホタテではない。新潟駅からシャトル・バスで約10分(片道250円)、または徒歩約40分で到着する。駅から歩くのにはちょっと遠いような気もするが、サポーターたちはけっこう歩いている。これくらいの距離はJリーグでは普通なのだ。仙台スタジアム鹿嶋スタジアム、東京ス…じゃなかった味の素スタジアム鳥栖スタジアムのような駅そばのスタジアムもあるが、柏の葉三ツ沢小瀬のようなところもある。甘えてはいけない。でも、バス代片道10分で250円は高いと思うよ?

 新潟に来るのは、2002年のW杯第2ラウンド、イングランド対デンマーク以来、4度目。あのときは気分が高揚していたせいか、40分歩くことが全く苦にならなかったが、今回はけっこう疲労感があった。スタジアムの熱気に負けたのかもしれない。あ、帰りに歩いたからか。

 ちなみに、東京―新潟の新幹線は基本的に一時間に一本しかないので、ひとつ乗り逃すとかなり痛い。加えて、新潟発の最終東京行きは午後9時30分くらいに新潟駅を出てしまうので、東京近郊の人間が新潟でナイトゲームを観る場合はかなりの覚悟がいる。今回はデイゲームだったので、問題はなし。

 駐車スペースは広い。自転車専用もなかなかの広さである。日本の地方都市はどこもクルマ社会(一家に一台ではなく、一人に一台だったりするのだ)なので、この対策はサポーターへのサービスという意味でも重要だ。

 新潟スタジアムは陸上用トラックのある総合競技場である。当初の計画よりも客席の傾斜を大きくして観戦しやすくしたということだが、同じ総合競技場でも東京ス…じゃなかった味の素スタジアムほど観やすくはない。国立競技場横浜国際総合競技場の客席の観にくさは論外だが、新潟スタジアムも二階席はまだ良いとして、一階席は傾斜をつけたといっても、やはりトラックが邪魔をしている。新潟スタジアムに限らず総合競技場でトラックがある以上しかたがないことだとは思うが、このピッチからの遠さを感覚的にでも縮める方法はないものだろうか。

 ちなみに、東京ス…じゃなかった味の素スタジアムはトラックがあることが気にならないほど良いスタジアムだが、一階席の後方には壁が邪魔をしてピッチが見えなくなるという致命傷的な座席がある。

 Jリーグのスタジアムに行って一番残念なことは、売店の貧弱さである。基本的に2週間に一度、多くて一週間に2度しか開催されないサッカーのスタジアムと、多いときには一週間で6試合開催される野球のスタジアムとを比較するのは酷なことだと重々承知のうえで言わせてもらうが、Jリーグの売店―とくに飲食関係―はメニューがすくなく、規模も小さい。サッカーの場合、売店に行けるのは、ゲームの性質上、試合開始前とハーフ・タイムのときだけ。イニングの度に時間のある野球とは事情が違うとはいえ、あの長蛇の列はなんとかならないものか。J2の甲府横浜FC川崎(昇格がかかったラスト2試合は多かったようだが、夏場とかはガラガラだ)のようにさほど観客数の多くないクラブの試合では、売店のことは気にならないが、横浜FMFC東京浦和新潟のような人気クラブのホーム・スタジアムでの買い物は往々にして忍耐を必要とする。

 とはいえ、東京ス…じゃなかった味の素スタジアムには、FC東京のメイン・スポンサーになっているコンビニがあるので、そこで買い物をしてから入場すれば良いし、三ツ沢は目の前に公園の食堂があるので、そこで腹ごしらえをしてから入れば良い。新潟の場合も、入場時の手荷物検査がない(!)―地元サポーターを信頼しているのか、はたまた危機管理意識の欠如なのか―ので、存分に持ち込んでくれということなのかもしれない。となると、よく見逃しがあるとはいえ、売店が貧弱なうえに手荷物検査をしている等々力競技場はどうなのでしょう、川崎サポーターのみなさん?



 新潟スタジアムはW杯やアルビレックスのために作られたわけではなく、2009年開催の国民体育大会(国体)のメイン・スタジアムにも使用するという合わせ技で建設された。W杯だけを理由に作られることはなかったのである。世界規模の大イベントより一国の地域対抗競技会のほうが重要視されるというのだろうか。

W杯にあわせて新設されたスタジアムは次の7スタジアム。

札幌ドーム
宮城スタジアム
新潟スタジアム
埼玉スタジアム2002
静岡スタジアム(エコパ・袋井)
神戸ウィングスタジアム
大分スタジアム(ビッグアイ)

2001年以降国体が開催された、または開催される(冬季国体は除く)県は次の通り。

宮城県(!)
高知県
静岡県(!)
埼玉県(!)
岡山県
兵庫県(!)
秋田県
大分県(!)
新潟県(!)

 これは偶然ではない。国体で、宮城スタジアム静岡スタジアム大分スタジアム新潟スタジアムはメイン・スタジアムとして使用されるが、サッカー専用スタジアムである埼玉スタジアム神戸ウィングスタジアムはサッカー等の球技で使われることになるだろう。W杯で使用されたスタジアムを国体で使うことは、国体選手たちのモチベーションには寄与するだろうが、W杯で使用されたスタジアムがあるから、そこで国体が開催されるのではなく、国体があるからスタジアムが新設されたのだという事実は、日本という国のスポーツに対する考え方、行政のあり方の限界を示している。

 W杯であろうと国体であろうと、あるいはオリンピックであろうと、それにあわせたインフラの整備―競技場新設に限らず、地下鉄や高速鉄道といった交通網やホテルなどの宿泊施設を含め―は世界中で行われている。それが一過性の無駄遣いになるのか、永続的なものになるのか、はたまた一過性であっても経済的には効果のあるものになるのか、いまやスポーツ競技会は採算性ということを無視して考えることはできない(除:学生スポーツ)。

 これは、1984年のロス・オリンピックの経済的成功が発端となり、FIFAのW杯やUEFAのチャンピオンズリーグが拍車をかけたわけだが、長野オリンピックのように巨額の誘致費用を使って開催しながら、新設した施設の維持費が県の財政を圧迫しているという失敗例もある。長野の場合はその巨額な誘致費用の使い方が問題化して、その後、肝心な帳簿を紛失したとかいう、民間企業だったらトップを含め大勢のクビがばっさり飛ぶような理解しがたい言い訳をして、それで問題をうやむやにしていたが、いわゆる「ハコモノ行政」にどっぷり浸かっている日本の地方公共団体の無能さが、如実に現れた出来事だった。そりゃ、地元商業界が腹を立てて、田中康夫を担ぎたくなるというものだ。

 地方スポーツの振興と国民の健康、体力の増進、文化の発展とかいうのが、国体の意義らしいのだが、まだ戦後復興を続けているつもりなのだろうか。1946年に初めて国体が京都を中心とした関西圏で開催された頃、戦争に負けて疲弊した地方と国民の基礎体力をつけるために、国体用施設の建設費という名目と持ち回り開催ということで国から地方にお金が順番に流れていき、健康状態の改善のため学校教育における体育の充実が求められたというのは理解できなくもないが、そんな時代はもう、とうに終わっているはずだ。軍と学校教育の充実を図った明治政府の富国強兵政策とダブってくるのは、わたしの偏見だろうか。

 2005年開催の岡山国体のために桃太郎スタジアムなるものを作ってしまうことが、地方スポーツの振興になるのだろうか。それよりも、湯郷にある女子サッカーチームをもっとバック・アップしたほうがまだましではないか。

 新潟は結果的にビッグスワンというハコモノが成功の一因になっているが、これは稀な例であって、宮城スタジアムはすでに県のお荷物になった。浦和はサッカーで盛り上がっているが、レッズの試合で埼玉スタジアムが満員になったことはない。ハコモノとは、簡単にいえば土建であって、いままで散々あちらこちらで土建行政は批判され続けられ、改革だ変革だと政府が声をあげていても、結局、日本という国の体質は何も変わっていない。

 スポーツで心身を鍛えるなどという怪しげな言説が何の疑問もなく流通しているようでは、これからも変わらないだろう。スポーツによって結果的に肉体や精神が鍛えられ、人間性が豊かになることはあるかもしれないが、それはあくまでたまたまの結果であって、目的にするものではない。スポーツを嗜むことと人間として成長するということは関連することはあっても、基本的に別の次元の問題である。たとえプロ野球最高の救援投手といわれ、ラグビーで日本の頂点を極め、ボクシングで世界チャンピオンになったとしても、ひととして駄目な者は存在するし、逆に、ひととして駄目だからといって、かのひとのプレイヤーとしての力量が疑われるわけではない(ディエゴをみよ)。

 往々にしてその競技の頂点を極めた者が人間としてもすばらしいことがあるが、その競技そのものにその原因が内在しているわけではないことに留意しなければならない。これは、動物好きなひとに悪人はいないとかいう俗説(にもならないか)のと同じ程度の話である。

 これは以前から−−かつては草野進や蓮實重彦らによって、いまは玉木正之らによって−−言われてきていることであるが、ゲームをプレイするスポーツに体育などという道徳くさい名前はそぐわない。そのようなものは「相撲道」や「野球道」や「空手道」や「武士道」などにまかせておけばよろしい。相撲や空手、柔道はスポーツではなく格闘技で、べつものだというかもしれないが、スポーツであれ格闘技であれ、人間教育をその目的にしたとき、その競技が堕落することにかわりはない。スポーツを通じた人間教育などというものをナイーヴに信用してはいけない。

 若かりし頃自分自身が目標としたことのある大会であったことを告白したうえで断言しなくてはなるまい。アマチュア競技者のための全国レベルの大会は必要であるが、それはもう国体という形ではない!(番外:国体 評点2.5)


 少し脱線しましたね。


アルビレックス新潟  評点6.5


 サッカーのアマチュア部門が海外リーグに参加することになり、女子チームもLリーグ参加、プロ・チアガールチームがあったり、バスケットボール・チー ム(こちらの名前は新潟アルビレックス)がJBLのトップリーグに所属したりと、着実に目にみえるかたちでスポーツ・クラブとして堂々と突き進んでいる、日本では貴重な存在。今後の期待を含めた評価である。

 雪国新潟のバスケットボールと湘南ベルマーレビーチ・ヴァレーは、地元らしさを出したスポーツ・クラブの種目として、もっと注目されて良いと思うぞ。

 アルビレックスについては、J1昇格が現実化してきた夏以降、色々なマスコミがアリバイ作りのためとしかいいようのないくらい採り上げている。この手の遣り口は仙台がJ1に昇格したときも使われたものだが、その後の仙台について、殆どのマスコミ−−サッカー専門誌を除いて−−がフォローしていないのは、単に仙台の成績が伸びなかったからだけではあるまい。移り気なのが日本のマスコミの特徴といってしまえば、それまでか。

 今回の新潟に関するマスコミ報道では、4万人を超える観客数と、そのためにクラブが行なったきめ細かい無料招待券の配布方法について必ず言及し、その努力を褒め称えているが、その記事を書いた人たちは、観戦できる日にちの無料券をもらったからといって、みんながみんな観戦に行くほど新潟の人々がお人好しだと考えているのだろうか? 無料だから行くということが殆どの記事の暗黙の前提になっているようなのだが、ただなら行かなくても損はしないから行かないと考えるのが、ホモ・エコノミクス(←この表現、合ってますか?)としての人間の本性であって、にもかかわらず、なぜ新潟では4万人が集まり、近所のおばちゃんの会話できのうのアルビの試合が話題になるのかを考えるのが、マスコミの仕事ではないのか。J1昇格という目的の現実化の影響や前述したスポーツに関する様々の取り組みの浸透とか、いろいろ書くことあると思うけど。ほかにやることがないから的な消極的な理由しか挙げられないようでは全然ダメよ。

 宿題ですな。

 ところで、J1に上がったのでチケットは値上げするのでしょうか? 無料招待も継続するの?


反町康治監督     評点6.5

 
 J2で優勝した程度なのに高得点なのは、なにも執筆者が反町監督と同い年だからというわけではない。

 (わたしの記憶が正しければ)初のJリーガー経験者J1監督なのだが、その現役時代については、サラリーマン・Jリーガーというネタでしか記憶にない。日本サッカーを強くするにはプロ・リーグが必要で、選手も当然プロでなくてはならないという意識が支配していたとき−−ラモス木村和司がプロ契約したときの喜びようがクローズ・アップされていた時代−−に、「将来を考えてアマで」とは、よく言ったものだと思う。

 現役引退後、バルセロナにコーチ留学(なぜ、みんなバルサ? 日本のサッカー関係者のバルサ濃度はかなり強い)して帰国したあと、新潟の監督になる前にJスカイスポーツ(現Jスポーツ)というTV局のリーガ・エスパニョーラ中継の解説をしていたが、そこでの個別的・具体的なコメントに、わたしは非常に感心した覚えがある。4バックの左サイドの守り方に関する話だったと思う。

 ちょっとしたサッカー好きになら誰でも言えるようなことではなく、あくまでプロのサッカー人でなくては言えないようなレベルの話なのに、とてもわかりやすくて、わたしはただ、ああそうなのか、そうだったのかと反町の話に引き込まれていたのだ。かつて、イチローと落合博満がTVでバッティングの技術論−−インコースの球を意図的につまらせて打つ話だったような気がする−−を延々と楽しそうにしていたときに覚えた知的興奮、清水宏保のインタヴュー記事で彼が己の筋肉の一筋一筋を意識できるまで−−大学の医学部の人体解剖まで見学して、ひとのからだを研究したという−−練習していることを知ったときの驚愕、それらに匹敵するインパクトだった。

 ああ、頭のいいひとの話はどうしていつもわかりやすくて楽しいのだろうか。

 あとは、反町監督がスポーツによくある「理不尽な精神論の強み」(BY藤島大)を身につけたときが、楽しみだ。

 ところで、J2で圧倒的な得点王だったマルクスを解雇したのは、彼が守備をしないからですか?


※番外 石崎信弘 元川崎監督  評点6


 またまた勝ち点1の差で昇格を逃した。本人はじぶんのことを「勝ち点1の重みがわからない大ばか」と言っていたが、それは誤りである。

 西本幸雄は弱小球団だったブレーブスやバファローズを鍛え上げ、何度もパ・リーグを制覇したが、結局日本一にはなれなかった。西本の後をついだ上田哲治はブレーブスで日本一になり、仰木彬はバファローズでは日本一になれなかったが、ブルーウェーブ(前ブレーブス)で日本一になった(バファローズは現存する12球団で唯一日本シリーズに勝ったことがない)。

 星野仙一は、今年散々いわれたように、結局日本一にはなれなかった。

 そういうひとは必ずいるのだ。

 アイルトンシンボリやステージチャンプは結局G1を勝てなかった。

 NFLのバファロー・ビルズ(またしてもバファロー!)は4年連続スーパー・ボウルで負けた。

 クーペル監督はバレンシアで2年連続チャンピオン・リーグ決勝で敗退、インテル・ミラノでは最終戦勝てば セリエA優勝のホーム・ゲームを2―4で落とした。
 
 それは、たぶん、当人の力ではどうにもならないことなのだと思う。