マネ(1832-1883)

1863年の「草上の昼食」65年の「オランピア」で、その絵の風俗上のスキャンダラスな内容と,日本の浮世絵の影響を受け,ヨーロッパ絵画の伝統であった「遠近法」の克服を試みた平面的描写で、フランス画壇に衝撃を与える。やがてモネ、ドガ、ルノワールらが彼の周囲に集まるようになり、光の描写を追及する印象派の運動が始まったため、印象派の祖とされたが、マネ自身は印象派運動に直接加わっていたわけではなく、実生活では勲章と名声にあこがれる世俗的な社交家であったといわれる。