義浄(635-715)
法顕や玄奘の業績に憧れ、37歳の時、単身海路広州よりインドへ渡る。この時既にヴァルダナ朝は崩壊していたが、ナーランダ僧院に留学して仏教を研究。さらに海路帰国途中に立ち寄ったジャワ島のシュリーヴィジャヤ王国で大乗仏教が盛んなのを見て、首都パレンバンに10年間にわたって滞在。この間にインド各地や東南アジアでの見聞をもとに『南海寄帰内法伝』・唐より仏典を求めてインドに向かった僧たちの伝記『大唐西域求法高僧伝』を執筆。帰国した時は則天武后の時代で、武后により玄奘と同じ三蔵の称号を与えられ、仏典翻訳にあたった。