出題年:1994年
出題校:東京大学
問題文
13世紀は「モンゴルの世紀」と呼ばれる。チンギス=ハーンが,モンゴル高原を統一してモンゴル帝国を築くと,続いて各ハーンが度重なる征服戦争をおこなった。彼らは中国を支配したばかりでなく,朝鮮半島,東南アジアまで勢力を伸ばし,さらに中東イスラム世界,ロシア・東欧にいたる大帝国をつくりあげた。
マルコ=ポーロは『東方見聞録』の中で,この帝国の多様な性格について,次のように述べている。
フビライ=ハーンは11月にカンバルック(大都)に帰還し,そのまま2〜3月の候までそこに逗留している間に,われわれの復活祭の季節がめぐってきた。…彼は盛大な儀式を催して自ら何回も福音書に焼香した後,敬虔な態度で吻をこれに当て,かつ居並ぶすべての重臣・貴族にも命じて彼らにならわしめた。この儀式はクリスマス・復活祭といったようなキリスト教徒の主要祭典に際してはいつも挙行される例であった。しかしハーンはイスラム教徒・偶像教徒(仏教徒)・ユダヤ教徒の主要聖節にも,やはり同様に振る舞うのだった。
このモンゴル帝国の各地域への拡大過程とそこにみられた衝突と融合について,宗教・民族・文化などの注目しながら論ぜよ。解答は,下に示した語句を一度は用いて,20行(600字)以内で記せ。また使用した語句には下線を付せ。

ガザン・ハーン 色目人 バトゥ 大理国  駅伝制
モンテ・コルヴィノ 細密画 マジャパイト王国 授時暦

解答例
モンゴル諸族を統一したチンギス=ハーンは,内陸アジアの通商路に進出してホラズム・西夏を滅ぼし,続くオゴタイ=ハーンは金を滅ぼして華北を支配し,バトゥ西征でロシアを支配するとともにワールシュタットの戦いで西欧に衝撃を与えた。その後モンケ=ハーンはフラグを派遣してアッバース朝を滅ぼし,フビライに雲南の大理国を滅ぼさせ,高麗を服属させた。ついでハーンとなったフビライは,国号を元と改め,南宋を滅ぼして中国を統一し,東南アジアではビルマのパガン朝を滅ぼし,ジャワ遠征を機に成立したマジャパイト王国を朝貢させた。この間に帝国は分裂したが,ユーラシア大陸の大半がモンゴルの支配下に入り,草原の道や絹の道の交通路が整備されて駅伝制が施行され,海の道による交易も活発化し,東西交流が盛んとなった。宗教面では,元ではラマ教が優遇されたが他の諸宗教も尊重され,モンテ・コルヴィノが大都でカトリックを布教した。イル=ハン国では当初ネストリウス派が優勢でイスラム教と対立したが,ガザン=ハーン時にイスラム教が国教となった。民族面では元でモンゴル人第一主義のもと,西域からの色目人も優遇され,旧金支配下の漢人や,旧南宋支配下の南人に君臨した。文化面では,宋代に発明された火薬が西伝したほか,中国の院体画がイランの細密画に影響を与えた。またイスラム世界の天文学・暦学の影響を受けて中国では郭守敬が授時暦を作製した。