顔真卿(709-785)
中国書道において六朝の書聖王羲之とならび称される書道の大家。王羲之の典雅に対して素朴で力強い書風で知られる。実際にも彼は安史の乱勃発に際し、文官でありながら義勇軍を募って乱軍に抗し続け、唐王朝の復興に大きな貢献をなした剛直の忠臣であった。安史の乱後は、乱鎮圧の功労者として唐宮廷に重きをなしたが、監察を担当する御史台の長御史大夫として宰相や権勢家としばしば対立。ついに784年の李希烈の反乱にさいして彼を好まない宰相の策略により、希烈説得の役目を与えられ、死を決しておもむき、結局その陣営に拘留されたあと殺された。