周敦(1017-1073)
唐代までの儒学は訓詁学が中心であったが、それに反発し、仏教や道教の影響も受けて、宇宙の根本原理は何かを明らかにし、そこから人間として何をなすべきかを追及しようとした。彼によれば学問は格物致知から誠意正心、修身斉家、治国平天下にすすむ。その目的は聖人である。聖人は天理そのものであり、爽雑のない人格である−とその昔、青学の入試問題の文中に出てきていた。地方官としての生活が長かったため、生きている間はあまり知られなかったが、朱子が彼を道学の祖として、その著『太極図説』を紹介したため有名になった。