合宿レポート

 ラッシュアワーを過ぎた上野駅に、忘れかけていた落ち着きが蘇っていた。疎らになった人影を縫うように、初秋の愁いを帯びた風がプラットホームを吹き抜けてゆく。その日、九月一二日午前九時二〇分の空は、僕に精一杯の青さと明るさを投げかけていた。五番ホームの北端には一人の人影もない。僕は真っ先に到着したことに密かな満足を憶えながら、そっと周囲の人の動きに視線をなびかせるのだった。
 「始まるんだ。合宿が始まるんだ。」
 そんな実感が、背中にしょったナップザックの重さと、傍らに置いた銘器キャッツアイCE−300の手応えとともに、ひしひしと身に迫ってくる。その時である。眼前に踊り出た三つの奇妙な影。
    うわっ!
 でん、近藤。でん、松原。でん、佐藤。
 紛れもない推理研のメンバーである。
 「始まるぞ。始まるぞ。」
 思わず駆け出した僕。そして振り向いた三つの影。
 ああ、こうして今年も、恒例の推理研夏合宿は華々しくその幕を切って落したのである。

      第一日
 上野駅五番ホームには、ぞくぞくと人が集ってきた。もちろん十時を過ぎてからのことだ。その間、早めに来た僕は切符を買うべく階段を上ったが、売場に戻るのが面倒になり、臨時出札所で学割のきかない切符を買ってしまった。僕の周囲にシラス台地のにおいが漂って来たのはその時である。思わず振り返った僕は、そこに休みの間中ごぶさたしていた薩摩の野人、中渡瀬至の姿を認めたのである。
 「おお中渡瀬、相変らずシラスのにおいぷんぷんくさいな。」
 「おお富由彦、パーマかけたな。パーマるだしなんちゃって、ふぇっふぇっふぇっ」
 僕達はひとしきりわけのわからない会話を交わすとまた五番ホームに降りて行った。信州一号の発車時刻までまだ間があるせいか、普段時間にルーズな人はなかなか現われない。会田なんか、どうせまだ寝てるに違えねえ。みんながそう思っていると、あにはからんや、会田が木の実のような頭を揺らしながら、にこにこやって来た。しかしこれで全員そろったな、と思ったら大間違いで、編集長の桜井がまだ来ない。そのうち電車が入って来て、みんなどやどや乗ってしまった。ここで山田さんのレポだと、ガキを踏み殺し云々となるのだが、そんな甘いもんじゃなかった。芳賀は若い女性をしめ殺していたし、大竹は腰の曲っ
た老人を刺し殺していた。席取りは関取りみたいに大変だと中渡瀬が言ったのは言うまでもない。
 さて、知らないうちに桜井も現われ、いよいよ出発。ここで一応メンバー紹介といきましょう。進行方向右側から、大野、美穂、会田、僕こと富由彦、中渡瀬、佐藤、金子、牛越、谷中、小山、森下。その後ろはよくわからないので適当に、慎一郎、真弓、加藤、堀川、芳賀、大竹、近藤、松原、藤代、下平、そして席がなくてすりにすわっていた久永。以上である。
 電車の中は比較的静か。テープを聴く者あり、弁当を食べる者あり、立方体の色合せをする者あり、「ハバナの男」を読む者あり、「バナナの皮」をむく者なしで、まずは平穏な滑り出し。ところが一部ではやはりセンセーショナルな出来事があった。席取りの成行きで、下平が一見女子大生風の若い女の子に三方
を囲まれてしまったのである。一人うつ向き頭を抱える下平。しかし時折漏れる忍び笑いを誰かが聞いたとか聞かないとか。また途中の駅で、みんなの注文をきいて久永が買出しに出かけた時、「私ジュース」「僕コーラ」の声に混って、「私だるま弁当十八個」という声があった。牛越と金子である。通称牛殺しの圭子と熊殺しの敦子は、それぞれ十八個のだるま弁当を軽々と平らげ、僕はそのおこぼれをちょうだいした。しかし後が大変で、三十六個の赤いだるまが車内をがらんごろん転がることになった。そうこうするうち汽車は軽井沢へ到着。友人とバーゲン荒しを楽しんで来たという中西が合流したが、彼女はしばらく僕を知らない人だと思い込んでいた。
 列車は予定通り長野に到着。バスに乗って一路野田屋へ向った。バスの中では佐藤が松尾の看板を見るたびに欣喜雀躍。藤代が呆れ返ってめがねを拭いていた。バスが着く頃には、野尻湖は霧に包まれなかなかの風情。野田屋は思ったよりきれいでした。
 部屋割り、買出しがすんで、ようやく部屋に落ち着いた僕。窓から湖面を眺めるうちに、手は自然にギターをつかみ、僕は静かに松山千春のスタンダードナンバーを口ずさみ始めた。ところが知らぬ間に十数人の大観衆が部屋に集っている。僕はどぎまぎしてしばしばコードをまちがえた。
 夜も更けて夕食。続いて初日のコンパが始った。初日とあって、みんな容赦なくぐいぐいあおる(もちろん僕はマイペース)恒例の三分間スピーチは、みん
な何とか無難にこなした。
 そうして時は流れ、座は乱れ、言葉はれれれで、なんというかわたしもよってまいりました。古今あまたの芸が披露され、段々盛り上ってゆきます。ああ、
お酒って、本当にいいものですね。だから桜井さんも脱ぐのですね。でもあれは悪い冗談ですよね。
 さて、いつの間にか時は更新。宴の後の寂しさというか、大広間からは次第に人影が減ってゆく。谷中がつぶれて部屋に帰ったのをしおに、僕もすがる慎一郎の手を振りほどき部屋へ戻った。その部屋へ突然不気味な影はぬっと姿を現わしたのは、それから十分ほど後のことである。影の正体は正体をなくした近藤の正体であった。いやなかった、いや、だから早い話が近藤であった。
 「そこにいるのはだあれだあ」
 僕はふとんを顔までかぶり、こわごわ答えた。
 「谷中さんと富由彦ですが。」
 「それでいましゃべっているのはふゆひこかあ。」
 「そうですが。」
 「いちねんはなあ。げんそくとしてねないのがでんとうなんだぞお。おれたちはそうやってそだってきたのら。ういっ。でもやなかもねてるっていうからなあ。ひっ。」
 影はそう言って去っていった。あの人はいったい何を言いたかったのか。これが今合宿で起きた最大のミステリーであろう。
 さて最後に、合宿第一日名言集。
 (真弓が野田屋の犬にワンワンと言ったのに無視されているのを見て)「犬も相手にしない(佐藤)」
 (風呂上りに部屋で)「佐藤って巨根だってな(桜井)」
 (コンパの後で)「吐いちゃたぞ(谷中)」
 (一応僕の)「それ以来、僕の人生は……」
 さあ、僕の初体験レポはこれでおしまい。二日目は異母兄弟の慎にレポートしてもらいましょう。