徐光啓(1562-1633)
明朝末の政治家・農学者。上海の人で、イエズス会宜教師マテオ=リッチの著した世界地図、『坤輿万国全図』を見て西欧の学問に憧れ、マテオ=リッチの滞在する南京に赴き、1600年南京でマテオ=リッチにより、キリス卜教の教義を授けられ、1603年には洗礼を受けた。翌年進士に及第して官につく一方マテオ=リッチに西欧諸学を学び、エウクレイデスの幾何学書の前半を漢訳して出版。のち一時官を辞して農学の研究につとめ、中国の農学を集大成しさらに西欧の知識を加え、大作『農政全書』を完成。一方でサツマイモなどの普及につとめる。後金のヌルハチが率いる女真軍の勢力が増大し明軍が劣性になると、砲術を中心とする西洋兵学の導入を進言し、マカオより大砲を購入。大戦果を上げている。崇禎帝の即位により重用され、礼部尚書(文部大臣)になり、アダム=シャールらと西洋暦法を導入した崇禎暦書作成に従事した。