歴史の動因の一つに環境の変化をあげることができる。そもそも人類の進化自体が、更新世の氷河期到来によって引き起こされ、旧石器時代から新石器時代の移行の要因となったのも、完新世の到来による地球の温暖化であった。
その後も地球の気温の微妙な変化は、人類の歴史に大きな影響を与えている。地球の平均気温が低下した世紀としては、3世紀、14世紀と17世紀が知られているが、この時期はいずれも文明の停滞や混乱の時期だったのである。
1〜2世紀にユーラシア大陸にはローマ帝国パルティアクシャーナ朝サータヴァーハナ朝漢帝国の5つの大帝国が併存していたが,3世紀にローマ帝国は軍人皇帝時代の動乱を経験し,残る帝国は全て滅亡した。14世紀の寒冷化は、農業生産の低下や伝染病の流行をもたらし、前世紀に成立してユーラシア大陸の交通路を支配し、空前の交流時代を築き上げたモンゴル帝国を崩壊に追いこむとともに、黒死病によって人口が激減したヨーロッパの封建制の危機を演出している。17世紀も「危機の時代」と言われるように,中国で明清交替が行われ,ヨーロッパは三十年戦争を初めとする戦争や,黒死病の再度の流行,宗教対立による魔女狩りの激化にみまわれた。
また局所的、突発的な自然現像である火山噴火や地震も歴史に影響を与えることがある。紀元前1500年頃エーゲ海のサントリーニ島で発生した大噴火は,クレタ文明に大打撃を与え,その後の東地中海地域の大変動の端緒となったとする説がある。79年に発生したヴェスビオ山の噴火では,人口2万数千人のポンペイが火山噴火によって埋没した。926年に契丹族によって滅亡した渤海国は,その直前の923年の白頭山の噴火で大打撃を受けていた。また、18世紀末には、日本において桜島の噴火や浅間山の大噴火が起こり、アイスランドでも火山噴火が相ついだ。おそらくはこの時吹き上げられた火山灰が太陽光線を遮ったことが原因で1780年代後半に一時的な気温の低下減少が世界各地で見られた。これによってフランスなどでは農業生産が低下し、飢饉が広がり、民衆の不満が増大する。そしてこのことが、フランス革命に影響を与えているのである。
さて地球の寒冷化や火山噴火などの環境の変化は、人間の力の及ばない自然現像であった。それでは、人間の手による自然環境の変化は、いかなる影響を人類の歴史に与えてきたのだろうか。今現在、科学技術の発達と産業社会の進展がもたらした地球温暖化、オゾン層破壊、熱帯雨林破壊、ダイオキシン汚染などなどに脅える私たちにとってそれは切実な問いかけであるが、その問に対する歴史の解答には厳しいものがある。
都市文明が成立し、発展し始めると、耕地拡大の要求とともに,人口増加を支える建築資材や文明に欠かせない金属器製造の燃料として大量の木材が必要とされ、森林破壊が始まる。森林破壊はやがて土壌の劣化と流出を生み、都市の衰退をもたらす。ナイル河上流域に成立し,一時はエジプトを征服した黒人王国の中心都市メロエが,紀元前2世紀頃から急速に没落した要因として,製鉄燃料用の木材伐採による環境破壊があげられている。また公会議が開催されたことで有名なエフェソスの衰退は,森林破壊によって流出した土壌が港湾を埋め,貿易都市としての機能を失ったことが要因となっている。古代の大文明の衰退についても,やはり環境破壊にその要因を求めることができる。ギリシア文明では,森林破壊にともなう土壌劣化によって,劣悪な環境でも生育するブドウなどの栽培が中心となっていったが,結局ヘレニズム期にはより豊かな環境を求めて人口が流出し,ギリシア本土の衰退を招いた。またローマ文明は,森林資源の枯渇を征服地の拡大による森林資源の取り込みで補ってきたが,森林破壊によるローマ周辺の農地の荒廃とエジプトなど北アフリカへの食糧の依存は,帝国の重心を東方へと移動させ,やがてローマ帝国の解体を招く。長く中国文明の中心であった黄河流域も,メソポタミア地方も、現在では半砂漠化し、繁栄から取り残された地域となっている。
文明は環境を破壊することで、自らを破壊してきた。それが我々に突きつけられている,歴史からの解答なのである。