出題年:2004年
出題校:一橋大学
問題文
次の文章は,1725年1月に亡くなったロシアの皇帝ピョートル1世の業績を称えた詩である。これを読んで,下の設問に答えなさい。

 彼は亡くなった。だが彼は我々を貧しく不平等なまま残さなかった。彼のもたらした巨大な力と栄誉は我々とともにある。彼が我がロシアを形づくったように,ロシアは存続するだろう。彼が良き人びとにロシアを愛すべきものにしたように,ロシアは愛されるであろう。彼が敵にロシアを恐れるものにしたように,ロシアは恐れられるだろう。彼は世界中にロシアの名を高らしめ,そしてロシアの栄光は終わることはないだろう。彼は我々に精神の,民政の,そして軍事の栄光を残した。たとえ彼の亡骸が我々に残されたとしても,彼の精神は生きつづける。
問1 ピョートルの改革は「西欧化」と特徴づけられるが,当時のヨーロッパの政治と経済の基本的動向について述べなさい。(100字以内)
問2 文中下線部にある「精神の,民政の,そして軍事の改革」とはどういう改革を指すのか。できるだけ具体的に述べなさい。(300字以内)


解答例

戦争が恒常化したことを背景に,国内を一元的に支配する主権国家の形成が進み,絶対王政の国王統治体制も生まれた。軍事財政の必要から重商主義政策が採用され,国家の産業保護政策もあって,商工業が発達した。

西欧諸国を視察し,それを模範として改革を進めた。精神面ではギリシア正教会に対する国家支配を強化するとともに,髭税などで西欧の風習や文化を支配層に強制した。民政面では全国的な徴税制度を整え,徴税機構を中心に行政組織を整備する一方で,国内産業の育成を図り,農奴の工場使用を認めた。軍事面では,西欧の軍事技術の導入を進め,常備軍を拡大し,貴族を将校として,農奴を兵士として軍隊に動員する体制を整えた。軍事力を背景にシベリア経営をすすめ,北方戦争でスウェーデンに勝利してバルト海の覇権を握り,重商主義に基づく交易の利益の拡大を図った。これによりロシアを東方の大国としてヨーロッパの主権国家体制に参入させた。