セルバンテス(1547-1616)

以下、山田風太郎『人間臨終図鑑』よりの引用。

彼は24歳のとき祖国スペイン艦隊の一水兵として、当時強大を誇った卜ルコ艦隊を撃破した有名なレパン卜の海戦に、マラリアをおして参加し左手に負傷して生涯使用不能となった。彼はみずから称して「レパン卜の片手ン坊」といった。しかしその後トルコの海賊船に襲われて捕虜となり、5年にわたる奴隷生活を送ったり、海軍の糧食係の小役人となったり、大変な貧乏の中で何度か牢獄にはいったりしたが、58歳のときに書いた『ドンキホーテ前編』が当時としては異例の評判を得た。ただし当時のスペインでは、作者の意思とは無関係にどこでも出版できたので彼はちっとも豊かにならなかった。それどころか、別の男が勝手に『ドンキホーテ後編』を書いて出版した。さすがに彼は狼狽して、自分の書いた『ドンキホーテ』の後編を急いで書き出し
た。このことがなければ『ドンキホーテ』は未完のまま終わったかもしれないといわれる。なぜなら、この後編につけた献辞の日付けが1615年10月末日で、その半年後本が出版された1616年の4月13日に彼はマドリードの自宅で死ぬ というきわどい芸当であったからである。シェークスピアが死んだのも同じ年。日本では徳川家康が死んでいる。