孔子(前551頃-前479)
魯の国の年代記『春秋』を編纂して(もっとも近年の研究では、『春秋』は直接孔子が関与したものではないというのが定説になっているようで、困ったもんだが)春秋時代の言葉を残し、死後弟子が編纂した『論語』で知られ、後世聖人としておおいに尊敬されたが、そのー生は不遇の一生である。50を過ぎて内紛により官を辞し、自分の理想を受け入れてくれる名君を求めて、弟子を連れて諸国を放浪するも、ついにどこからも受け入れられず、70過ぎて故国に帰り、弟子の教育に専念。このあたりはギリシアのプラトンとよく似た境遇である。しかしプラトンは弟子アリストテレスを持ったが、孔子はその最も頼みとし「一を聞いて十を知る」と絶賛した弟子顔回を晩年に失い、「天は我を滅ぼした」と悲嘆しなければならなかった。さらに追い打ちをかけるようにその翌年には最も愛していた弟子子路が衛の国のクーデターに巻き込まれ、殺されてシオカラにされてしまう。孔子について詳しく知りたい人は、マンガでは諸星大二郎の傑作『孔子暗黒伝』、研究者の本では孔子研究を書き換えたと言われる学者白川静の『孔子伝』(中公文庫)がおすすめ。